むすんでひらいて(J-J.ルソー、作詞者不詳)

唱歌・童謡

お待ちしておりました!

正月ムードも終わり、静かで冴え冴えとした真冬の季節となりました。底冷えする寒さです。運動不足に陥りがちなので、少しでも運動しないといけませんね…。

そんな今日は、「むすんでひらいて」を取り上げます。まずは私が歌ったものを掲載します。

歌詞の替えようはいくらでもあると思いますが、今回は単純なもので歌ってみました。広く知られた童謡ですが、手遊び歌です。

今回は主に歌詞と音楽史的な観点からお話を進めていきたいと思います。

歌詞と解釈

そらで歌える人も多いと思いますが、今一度オーソドックスな歌詞の確認をしてみましょう。

歌詞

むすんで ひらいて
てをうって むすんで
またひらいて
てをうって
そのてをうえに(したに)
むすんで ひらいて
てをうって むすんで

作詞者について

作詞者は不詳ですが、1947(昭和22)年に『一ねんせいのおんがく』という音楽の教科書に掲載されています。詳しい解説は後ほど行います。まずは歌詞から。

歌詞の解釈

この歌は童謡や唱歌として知られていますが、手遊び歌でもあります。歌詞のとおり、手をギュッと結んだりパッと開いたり拍手したり上げたりと、幼い子からお年寄りまでが楽しめる歌です。

“またひらいて” は、”又 開いて” であって、”股 開いて” ではありません。つまり脚運動はしません。心の汚れた大人は別の発想までしがちですが、純粋に、手をもう一度開くという意味として捉えます。

手遊びについて

手遊びの仕方については、ネットで検索するといろいろ出てきます。ひとつリンクを貼っておきますので、参考にしてみてください。
手遊び歌を保育士ずんちゃんが実演

また、本記事後半でも、古い文献からの手遊びの仕方をお伝えします。

作曲者は、あのJ-J.ルソー

社会科の授業で習った記憶がある方も多いと思いますが、18世紀のフランスで活躍した哲学者に、ジャン=ジャック・ルソーという人物がいました。

ルソーは、人間不平等起源論、社会契約論、言語起源論などを発表していますが、作曲家としての側面もあり、牧歌劇『村の占い師(Le Devin du village)』などを書いています。

オペラ『村の占い師』と「むすんでひらいて」

「むすんでひらいて」のメロディーは、上に書いたルソーの牧歌劇『村の占い師』(1775年)の中に出てくる新ロマンスが原曲であるという説があります(否定説もあります)。

当該牧歌劇については下記に貼っておきますので、是非視聴してみてください。43:42あたりから「むすんでひらいて」の元となった新ロマンス「キュテラ島の森の茂みで」が演奏されます。

讃美歌、唱歌、軍歌として

「むすんでひらいて」は、はじめから「むすんでひらいて」だったわけではありません。先ほどの新ロマンスが知られた後は、イギリスでも派生曲が流行したり讃美歌や童謡に変化したりしました。「ルソーの夢」という歌としても広く知られるようになります。

その後世界に広まり、さまざまな形で存在しています。メロディーやリズムもそれぞれ微妙に違っていたりします。

明治期に日本に来たものと考えられます。1872(明治5)年に文部省管轄の教育図書館に受け入れられた文献(1870年にアメリカで出版)に「The Pleasant Sight(楽しい眺め)」として掲載されていたそうです。

そして一説には、日本語の歌としての初出は、讃美歌「キミノ ミチビキ」(チューンネーム:「グリーンヴィル」)なのだそうです。

讃美歌「キミノ ミチビキ」

1874(明治7)年頃、讃美歌「キミノ ミチビキ」がキリスト教のバプテスト教会が発行した『聖書之抄書』に掲載されました。歌詞は下記です。

アゝエホワシユノシユヤ オホノベニサマヨフ
ワレタビゞトヲバ ミチビキタスケヨ
アクマデテンノパンヲ サヅケタマヘヨ

カワカヌイヅミヲ イワヨリナガシ
昼クモヨル火ノ ハシラヲシメシ
カゞヤキユカセヨ ワガフムミチニ

ハテントキヨルダンノ カハベニユキテ
オソレヌコゝロヲ ワレニコミイレ
カナンギシヲブナンニ ワタラセタマヘ

カタカナばかりで呪文みたいですが、漢字とひらがなを使うと意味を捉えやすくなります。私なりに変換したものを掲載してみます。

ああエホワ主の主や 大野辺にさまよう
われ旅人をば 導き助けよ
飽くまで天のパンを 授けたまえよ

渇かぬ泉を 岩より流し
昼雲夜火の 柱を示し
輝き行かせよ わが踏む道に

果てんときヨルダンの 川辺に行きて
恐れぬ心を われに込み入れ
カナン岸を無難に 渡らせたまえ

その他の讃美歌

「カミノ ミチビキ」を皮切りに、他の讃美歌も生まれています。

1876(明治9)年、日本基督一致教会系の『改正讃美歌』という讃美歌集に3曲収められています。

  • 「あゝきみのきみなる」
  • 「あれのにまよへる」
  • 「耶蘇きみのほかに」

この3曲です。

さらに翌年、メソジスト教会系の『讃美歌 一』という讃美歌集には、

  • 「ミかみのちからハ」

が同じメロディーで掲載されています。

その後も、他の讃美歌中に掲載されています。すべて紹介することは到底無理ですしそんな気力すらありません。我々の知る「むすんでひらいて」のメロディーは、さまざまな讃美歌として歌われてきた歴史があることを知っていただければと思います。

遊戯歌「楽キ景色ノ歌」

1878(明治11)年頃には、先述した「The Pleasant Sight」を翻訳した「楽キ景色ノ歌」が、キンダーガルテン(幼稚園の原型)での遊戯歌として取り入れられました。

歌詞を1番のみ掲載します。

小キ児童ノ相和スルヲ見ル其楽キ如何ゾヤ其苦辛トナルモノト相互ニ之ヲ為サズ」嗚呼小キ児童ノ相和スルヲ見ル其愛シキ如何ゾヤ

途中に鉤括弧がありますが、単に区切りを示す記号かと思われます。とにかく、とてつもなく読みづらく歌いづらいですね。思わず ナンジャコリャ!と言ってしまいました。

一説では、先ほどの讃美歌「キミノ ミチビキ」等とは関係なく派生した歌だそうです。つまり、当該讃美歌を替え歌にしたわけではなくて、外国歌として日本に来てから、当該讃美歌とは別個に生まれた歌ということです。

唱歌「見わたせば」

「見わたせば」の楽譜

『小學唱歌集』初編より

1881(明治14)年には、文部省音楽取調掛が発行した『小學唱歌集』初編に「見わたせば」が掲載されました。この歌こそ「むすんでひらいて」と同じメロディーとして比較的有名な歌です。作詞者は、1番が柴田清煕、2番が稲垣千頴。

「見わたせば」については私が歌ったものがあるので、ご紹介したいと思います。「見渡せば」という表記になっていますが同じ歌です。

歌詞は下記のとおりです。

見わたせば。あをやなぎ。花桜。
こきまぜて。みやこには。
みちもせに。春の錦をぞ。
さほひめの。おりなして。
ふるあめに。染めにける。

みわたせば。やまべには。
をのへにも。ふもとにも。
うすきこき。もみぢ葉の。
あきの錦をぞ。たつたびめ。
おりかけて。つゆ霜に。
さらしける。

これを歌えるようにしておくと、ふと一発芸を振られたときに周囲を驚かせることができるかもしれません。

軍歌「戰闘歌」「海戦」

明治後半になると、世の中は戦時色を強く帯びてきます。その中で数々の軍歌や軍事的唱歌が生まれましたが、当たり障りのない唱歌が替え歌にされるケースも多く、「見わたせば」もそのひとつです。

1895(明治28)年に『大軍軍歌』という軍歌集が刊行され、その雪之巻に、「見わたせば」の替え歌である「戰闘歌」が掲載されました。歌詞(作詞:鳥居忱)は以下のとおりで、日清戦争をきっかけに、もてはやされたそうです。

見渡せば、寄て來る、敵の大軍、面白や。
スハヤ戰闘始まるぞ。イデヤ人々攻め崩せ。
彈丸込めて擊ち倒せ。敵の大軍擊ち崩せ。

見渡せば、崩れ懸る、敵の大軍、心地よや。
モハヤ戰闘勝なるぞ。イデヤ人々追ひ崩せ。
銃劔附けて突き倒せ。敵の大軍突き崩せ。

上記、”戰闘” は “たたかいと読みます。

また、「戰闘歌」の海バージョンである「海戦」という軍歌もあります(作詞:吉本光蔵)。

見渡せば、寄て来る、敵の軍艦おもしろや。
スハヤ戰闘始まるぞ。イデヤ艦隊攻めかゝれ。
彈丸こめて撃はらへ。敵の軍艦うちくだけ。

見渡せば、沈かゝる、敵の軍艦ここちよや。
モハヤ戰闘勝なるぞ。イデヤ艦隊追せまれ。
水雷かけて撃くだけ。敵の軍艦くつがへせ。

なんて物騒な歌詞でしょう。「むすんでひらいて」しか知らない人からしたら、イメージが覆されてしまうほどのインパクトがありますね。

また、上記の陸軍向け・海軍向けの軍歌は、のちに歌詞が改変され、『新編教育唱歌集』にも掲載されました。大切なのでもう一度言います。唱歌集に掲載されたのです。軍歌の枠を越えて、軍事色を帯びたまま唱歌になってしまったのです。

讃美歌「かみよみめぐみを」

先ほど讃美歌のお話が出ましたが、再び讃美歌のお話です。

現在、多くのキリスト教プロテスタントの教会で用いられている『讃美歌』(発行:日本基督教団讃美歌委員会)という讃美歌集がありますが、これは1954(昭和29)年に生まれたものです。そしてそれは、1931(昭和6)年版『讃美歌』を改訂したもので、さらにそれは1903(明治36)年の『讃美歌』という讃美歌集を改訂したものです。

その元となる1903(明治36)年版には、「かみよみめぐみを」という讃美歌が収録されていますが、これがずばり「むすんでひらいて」と同じメロディーを持つ歌です。

しかしこの「かみよみめぐみを」は、改訂によって姿を消したため、現在知る人は少ないものと思われます。

唱歌「花見」

ようやく時は20世紀。1904(明治37)年、酒井勝軍が編んだ『新式日本唱歌』第一編に、今度は「花見」という歌として現れます。歌詞(作詞者も同編者)は以下のとおりです。

山々にたなびく霞 おぼろに聞ゆる鳥の声
赤き白きこき交ぜて 乱れつ香へる桜花
自然の音楽調をあはせ 天女の姿風に舞ふ

梅かと見れば柳なり 柳と見れば桜なり
見る人々の心にまかせ 枝折る人の手に香ふ
乙女のかざせる一枝の花も 我を教える神の旨

手には爛々花か雲か 地には熳々雲か花
都もひなも春の景色 にほはぬ里もあらざらめ
いざや名残に一枝折りて 袖にうつさん花の色

言葉が敷き詰まっている印象がありませんか?しかし素敵な情景です。

そういえば、わが家で法事があったとき、親戚の老爺が勝手に庭の花を折って持っていったことがあります。けしからん!と思いましたが、この歌にある “いざや名残に一枝折りて 袖にうつさん花の色” だったのかもしれませんね。

「むすんでひらいて」の誕生

さて、ようやく「むすんでひらいて」についてです。

結論から言うと、この歌、実は明治期にはすでに生まれていた可能性があります。冒頭では、1947(昭和22)年に『一ねんせいのおんがく』という音楽の教科書に掲載されていますと書きましたが、それはいわば復刻。本当はもっと古くから存在していたということです。

遊戯「結んで開いて」

時は1909(明治42)年。『婦人と子ども』(現在の『幼児の教育』)という雑誌に、ある幼稚園の時間割が紹介され、〈遊戯〉の中に「結んで開いて」という題目があったのです。ただ、楽譜は無し。そもそもメロディーがついていたのかすら分かりません。その点は要注意です。

しかし、1927(昭和2)年には、まごうことなく「むすんでひらいて」が歌として存在していました。高橋キヤウが著した『唱歌遊戯』の中に、楽譜付きで「結んで開いて」の遊び方が掲載されたのです。

遊び方について引用し、少しだけ読みやすくすると下記のとおりです。

隊形

任意。例えば、一列円形又は半円形を作って、円心に向かってもよいし、好きな所に位置をとって指揮者の方にむいていてもよい。時には指揮者の方に向かなくてもよい。

方法

  • 結んで:腕を前に挙げて拳を握る。唱歌に連れて軽い振動が起こるであろう(以後も)。
  • 開いて:拳を開いて五指を伸ばす。
  • 手を拍って:拍手すること四回。
  • 結んで:再び前のように拳を握る。
  • 又聞いて手をうって:前にしたように拳を開き、そして拍手をする。
  • 其の手を:拍手を続ける。又は「手をうって」で拍手した後の姿勢のままで、次に来る注文をしずかに聞いている。

上に(胸に、床に、その他任意)(又は合図だけ):いち早く手を上に挙げる。

注意

  1. しずかに歩きながら行ってもいい。
  2. 何回も繰り返して行ふたびごとにその終わりには異ったいろいろの運動姿勢を要求する。そして練習がつめば随分複雑な要求をすることが出来るようになる。すなわち
    (イ)両腕に同じ運動を要求する。
    (ロ)片方の腕ばかりに運動を要求する。

    この時は「其の手を」といふ時に「右手を」又は「左を」と限定しておく。
    (ハ)片方ずつ別々の要求をする。
       あらかじめ約束をしておいてその約束を行う。
      中 略
    (ニ)指揮者の運動を模倣する。
    (ホ)反対観念を利用してー「上に」といったら「下」にとらせる。ーこの際組分けをして対抗して行うと競争遊戯にもなる。
    (ヘ)すべてを全く行う人の任意にさせる。
       このときは「上に」というときに単に合図だけをすることにしておく。
       合図によって手ばかりでなく、全身の姿勢を全く任意に。

かなや漢字を現代の表記にしましたが、それでも文語寄りの書き方なので、少し理解しづらいかもしれませんね。でも、大体どんな遊び方をするのか掴めたら幸いです。

ところで、「むすんでひらいて」の作詞者は不詳とされていますが、もしものもし、上記が初出ならば、作詞者はその周辺の誰かなのかもしれません。

現代の「むすんでひらいて」へ

「むすんでひらいて」は、昭和初期に讃美歌としての地位を失っていき、幼稚園での子供の歌として少しずつ名を知らしめることになりました。

そして旧教育基本法が公布・施行された1947(昭和22)年、文部省により『一ねんせいのおんがく』という音楽の教科書に「むすんでひらいて」が掲載され、公的な唱歌として歌われるようになっていきました。

ただこの頃、ルソー作曲であることは一般には普及していませんでした。上記の音楽の教科書にすら、楽譜にはルソーの名前はありませんでした。

一般にルソー作曲と知られるようになったのは、翌年の1948(昭和23)年以降。その年に遠藤宏の『明治音楽史考』が著されましたが、そこで1882(明治15)年に伊澤修二が著した『唱歌略説』という資料が紹介されました。その資料には、ルソーの作った今回のメロディーの解説があったため、一説には、それによりルソー作曲であることが広く知られることになったようです。

「むすんでひらいて」は、その後ますますその名と作曲者を知らしめ、今日に至るまでにメロディーを知らない人はいないまでに高知名度な歌となりました。


長くなってしまいましたが、以上が「むすんでひらいて」の歴史のさわりです。

「むすんでひらいて」は有名な歌となりましたが、讃美歌や軍歌としての姿は、この令和の時代においてほとんど知られていませんし、興味を抱く人すらほぼ皆無でしょう。

でも歴史を見てみると、何気なく歌っていた「むすんでひらいて」が、由緒ある歌に感じられるようになります。そうなると初めて、この歌をさらりとは歌えなくなってしまいますが、それは私だけでしょうか。

コメント