あめふりの日のうた(佐藤義美、大中恩)あめがふるあめがふる…

唱歌・童謡

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蒸し暑い日々がつづき、不快指数も高くなりました。早くも梅雨前線が消えたという報道がありましたが、どうやら一時的なものだったようです。雨はそこまで好きではないですが、水不足は避けたいですね。

ただ、童謡「あめふりの日のうた」は私の好きな歌のひとつです。恥ずかしながら、この歌を初めて歌ったのは1年くらい前。下掲の動画を制作したのがその頃です。

しとしとと雨が降る感じがする作品ですよね。梅雨の時季にピッタリだなあと思います。

では、「あめふりの日のうた」について、掘り下げていきましょう。

ギリギリ著作権存続期間が延びた歌詞

歌詞について調べてみると、興味深い事が分かります。小難しい話なので興味がない方はすっ飛ばしてください。

「あめふりの日のうた」の歌詞は、童話作家の佐藤義美(もしくは、さとうよしみ)さんによって書かれました。彼は「犬のおまわりさん」の歌詞を書いた人でもあります。

佐藤さんは1968(昭和43)年に亡くなっていますが、従来の著作権法だと死後50年で著作権が切れるため、1969年の起算で2018(平成30)年12月31日を最後に著作権が切れるはずでした。

ところが、著作権法が2018年12月30日に改正され、著作権が切れる時期が、死後50年から死後70年となりました。つまり、「あめふりの日のうた」の歌詞の著作権最終日の前日に改正法が施行され、ギリギリ著作権の存続が70年まで延長されたのです。

そのため、著作権は2039年12月31日まで存続します。となると、容認や許可のされた場所・方法以外では歌詞は掲載できないということになります。というわけで、歌詞は動画にてご確認ください。

日本の歌の大家、大中恩

「あめふりの日のうた」は、日本の歌の大家でもあった大中恩(おおなかめぐみ)によって作曲されました。声楽界では有名な歌曲「椰子の實」を書いたのが大中寅二ですが、大中恩は彼の息子にあたります。私は、どこだったかいつだったか、一度だけ御姿を拝見したことがあります。

代表作

大中恩の代表作は、童謡だと「犬のおまわりさん」、「サッちゃん」、「おなかのへるうた」などがあります。日本歌曲だと「しぐれに寄する抒情」、「ふるみち」などがあります。そして何より、合唱作品は1500曲以上!(記念館のサイトによる)

「あめふりの日のうた」について

「あめふりの日のうた」は、1958(昭和33)年に書かれました。大中恩が34歳の頃の作品で、『新しいこどものうた』(音楽之友社)第2集にて初出です。

実際の教育現場で歌われることはあるのでしょうか。私の推測では、まず歌われないと思います。中山晋平の有名な「あめふり」(あめあめふれふれかあさんが…)ですらあまり歌われない時代ですからね。

音楽的な分析

「あめふりの日のうた」の音楽に着目してお話を進めてみましょう。シンプルな童謡といえど、さすが大中恩さん!といえる工夫が見られますよ。

前奏からの、雨のしとしと感と静寂

前奏では、高い音域で同じ和音がタンタンタンタン…と出てきます。そして歌い出しでもそれが続きます。

これはまさしく雨のしとしと感ですよね。ザアザア降るわけでもなしに、パラパラ降るわけでもなし。雨量は少なくないものの、それでも静かに降っている感じです。音があるのにまるで静寂。日本の侘び寂びに通ずるものを感じます。

ところが、編曲されたものをYouTubeで聴いていると、素敵な前奏が全く違うものに書き換えられたりしていて、原曲の良さが消えてしまっています。まあ、編曲版では編曲者による脚色があって当然なのですが、前奏の良さだけはどうしても譲れませんね。

なお、それは後奏についても同様です。

クレッシェンドとデクレッシェンド

楽譜を見ると、クレッシェンドとデクレッシェンドが多用されていることが分かります。

物理的には音を強めたり弱めたりするわけですが、単にそれをするだけでは芸がありません。いったい何を表しているのかを考えることが重要です。

私の解釈では、やはり雨足の強さです。静かに降る中でも、当然ムラがあります。風が少し吹いたりやんだりして雨の強さが変わることもあります。

別の解釈もできます。雨足ではなく、観察者の動きです。〈おや?雨が降ってるな〉と首を雨のほうに向けたり戻したり…。そういった解釈も可能かと思います。

このあたりは答えがないと思います。

伴奏の伸ばす音にもクレッシェンド!?

この歌には謎もあります。

伴奏は基本的にピアノで奏することになります。ピアノは、一旦ジャーンと弾いてそのまま指を離さないと、音は減衰するのみです。途中でクレッシェンドをかける(音を次第に強くしていく)ことはできません。

にもかかわらず、この歌の伴奏には、二分音符にクレッシェンドが付いている箇所があります。つまり、伸ばす音をだんだん強くしろというのです。

……いや無理だろ。いったい大中恩さんはどういうおつもりでクレッシェンドを書いたのでしょう!?

しかしそこであきらめてはダメ。音量を大きくすることはできずとも、弾く時の気持ちや、空間と音の広がりを意識することは可能です。要は、次の音への気持ちやスケールの遷移としてのクレッシェンド、という解釈です。

さらに物理的な工夫として、ペダルを使う方法があります。

まず、ピアノにはペダルがあります。一番右のペダルはダンパーペダルといって、鍵盤から指を離した後も、弾いた音をすべて持続させるための装置です。通常、鍵盤から指を離すとダンパーが弦を押さえて音を止めるのですが、当該ペダルを踏むと、そのダンパーが弦を押さえなくなり、弦が震え続けます。

ここで注目したいのは、まさにそのダンパー。二分音符の音をジャラーンと弾いてからペダルを踏んでみると、指で押さえていない鍵盤の弦からもダンパーが離れます。すると、弾いていない音の弦もわずかに共振し、少し響きが豊かになるのです。ペダルをゆっくり踏み込むと、その変化もゆっくりになります。

その方法を利用することで、伸ばしたままの音であっても幅が広がり、クレッシェンドしたつもりになれます!ただ、正確には音量は大きくなっていないので、厳密な意味でのクレッシェンドではありませんけどね。

p と mp から成る歌

この歌の楽譜を見ると、mp(メゾピアノ)と p(ピアノ)しかないことが分かります。

まさしくこれは静寂。しとしとと降ることの裏付けとも言えましょう。

ただ、実際録音してみて思うのは、この静寂感を機械を通して伝えることはかなり難しいということ。生演奏でないと、この歌の本当の良さはうまく伝わりません。

仮にホールで歌うならば、その静けさを、広い空間の中で豊かや残響と共に提供できます。それに、静かな中にも観客の咳払いやプログラムをめくる音などが入り、歌の静かさが際立ちます。それが録音では叶いません。

また、私の編集技術不足もありますが、録音だと機器が強弱を正確に拾ってくれないキライもあります(自動補正がされたりする)。これは私にとってのこの先の課題ですね。

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