お待ちしておりました!
緑豊かとなって爽やかかと思いきや、すでに暑さを感じる頃となりました。そんな今日この頃は、まさしく唱歌「夏は來ぬ」にふさわしい季節です。
というわけで、まず、私が歌ったものを掲載します(明治38年版。ただし、キーはわずかに上げている)。
シンプルな歌ですが、汗ばむ中に涼しい風が差し込むような、そんな爽やかさのある作品ですね。
今回は、この「夏は來ぬ」について掘り下げていきます。歌詞の改変や、同じメロディーを持つ「夏」という歌についても触れていこうと思います。
幾パターンの歌詞と解釈・解説
「夏は來ぬ」には、実は微妙に異なる歌詞がいくつかあります。私が歌ったものは、その中のひとつにすぎません。下記、その微妙に異なる幾パターンを紹介し、解釈・解説を進めていきます。
初出歌詞(明治33年版)について
まずは、1900(明治33)年『新撰國民唱歌 第二集』にて初出の歌詞からです。
※文部省ではなく、三木楽器店の三木佐助という人が発行者。なので文部省唱歌ではない。また、著作者は小山作之助。
時代を感じる言葉も出てきますが、包み隠さずに掲載します。
うの花の、にほふ垣根に、時鳥
早もきなきて、忍音もらす、夏はきぬ。さみだれの、そゝぐ山田に、賤の女が、
裳裾ぬらして、玉苗うゝる、夏はきぬ。立ばなの、かほる軒ばの、窓近く、
螢とびかひ、怠りいさむる、夏はきぬ。棟ちる、川べの宿の、門遠く、
水鷄聲して、夕月すゞしき、夏はきぬ。夏はきぬ、螢とびかひ、水鷄なき、
卯木花さき、早苗うゑわたす、夏はきぬ。
【現代語訳(意訳:弥生歌月)】
卯の花が匂う垣根ある方向から聞こえます。ホトトギスが早くも来て鳴いて初音(はつね)をもらす……そんな夏が来ました。
五月雨が降り注ぐ山田で、身分の低い女たちが、裳裾をぬらして玉苗を植えている……そんな夏が来ました。
タチバナが薫る軒端の窓近くには蛍が飛び交い、勉学の怠惰を戒める……そんな夏が来ました。
センダンの花が散る川辺の宿の門から離れたところからクイナの鳴き声が聞こえてきて、夕月が涼しげに出ている……そんな夏が来ました。
夏が来て、蛍が飛び交い、クイナが鳴いて、ウツギの花が咲き、賤しい女が玉苗を植える……そんな夏が来ました。
以上が私の意訳です。
ホトトギスは人里離れた林や薮などに棲息するため、垣根で鳴くという解釈はせず、”垣根のある方向から” としました。
2番は、”賤の女” というのが、今では完全に炎上案件な言葉ですね。江戸時代でいう士農工商の下の身分の女性です。こういう歴史もあったと知ることは大切だと思います。
1番の”卯の花” と5番の “ウツギの花” は同義です。5月から6月に咲く花ですね。4月は卯月といいますが、卯の花が咲く月だからです。しかしそれは旧暦のことなので注意が必要です。
3番では、”勉学を怠ける” と私は訳しましたが、なぜ “勉学を” と付けたのかというと、それは “蛍” に対応する言葉として捉えたからです。中国の故事に〈蛍雪の功〉がありますから、それにあやかりました。ちなみに卒業ソングの「あふげば尊し」にも、〈蛍雪の功〉にちなんだ歌詞が出てきます。一方、1番、2番、4番は、和歌から着想を得ていると思われます。
明治38年版について
初出から5年後の1905(明治38)年、『新編教育唱歌集 第5集』(教育音樂講習會編纂、東京開成館蔵版)に掲載された歌詞は、5番が大きく変わりました。以下、全文掲載します。
うの花のにほふ垣根に、時鳥
早もきなきて忍音もらす 夏は來ぬ。さみだれのそゝぐ山田に、賤の女が
裳裾ぬらして、玉苗うゝる 夏は來ぬ。橘のかをるのきばの窓近く、
螢とびかひ、おこたり諫むる 夏は來ぬ。楝ちる川べの宿の門遠く、
水鷄聲して、夕月すずしき 夏は來ぬ。さつきやみ、螢とびかひ、水鷄なき、
卯の花さきて、早苗うゑわたす 夏は來ぬ。
特に訳は必要ないかと思いますが、5番が大きく変わったことでイメージが変わりましたね。
また、1〜4番にもごく小さな変更があります。読点(、)の位置や有無の変更、”きぬ” → “來ぬ” への変更、”立ばな” → “橘” への変更、”かほる” → “かをる” への変更などです。たったこれだけのことでもイメージが少し変わるので面白いです。特に、”かほる” → “かをる” の変更では、私なら発音感覚も微妙に変わってきます。
なお、”賤の女が” はまだ残っていますね。これはのちに “早乙女が” に変更されます。
昭和17年版について
一気に時が経ち、1942(昭和17)年。ラジオ番組に『國民合唱』があり、その中で「夏は來ぬ」が歌われました。まだ戦時とはいえ、この時代には考え方も変わっており、ついに2番に大きな変更が加わりました。
賤の女が → 早乙女が
賤の女とは、身分の低い女という差別的な意味。先ほども書いたように、現代だと完全に炎上案件です。それが早乙女という、田植えをする若い女というナチュラルな言葉になりました(作詞者が直々に変更しました)。それでも現代だと、女だ男だの論争に発展する可能性はあります(そういうことにうるさい人が一定数いるため)。
一方、5番では、初出時の歌詞に戻されてしまったようです。初出時の5番は、”夏はきぬ” が2回も出てきて冗長な感じがします。だからその後変更されたのだと思われますが、元に戻ってしまったなんて、もう何やってんの!と思わざるをえません。
現在のメジャーな歌詞
現在歌われているメジャーな歌詞は、上記に挙げた歌詞のイイトコドリとなっています。
たとえばこんな感じです。
卯の花の におう垣根に
ほととぎす 早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬさみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ橘の かおる軒端の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ楝ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ五月闇 蛍飛びかい
水鶏なき 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
私が初めて「夏は來ぬ」を知ったときは1,2番のみでしたが、上記のような歌詞でした。最もスマートで、洗練された感じがします。
ただ、冒頭の動画では、明治38年版の歌詞に基づいて歌っています。というのも、史実として “賤の女が” を歌うべきと感じたからです。
音の当て方にも違いが
初出版(明治33年版)と明治38年版とはよく比較されます。先述の内容では、5番の歌詞が異なるという話でしたね。
ところが、なんと歌い方……といいますか音の当て方にも違いがあります。
まず、歌詞の言葉としての音の数は、57577+5 となっています。しかし、部分的に 8 になっている箇所があり、そこの歌い方が今回の注目ポイントです。8 になっているのは下記です。
- 3番:おこたりいさむる
- 4番:ゆふづきすずしき
- 5番:さなへうゑわたす
これらの歌い方(音符への当て方)が、明治33年版と明治38年版とで異なります。上段は前者、下段は後者で列挙してみます。
おーこーたーりい | さーむーるー
おーこーたーーり | いさむーるー
ゆーふーづーきす | ずーしーきー
ゆーふーづーーき | すずしーきー
さーなーへーーう | ゑーわたすー
さーなーへーーう | ゑわたーすー
上段の明治33年版のほうが、日本語のアクセントとしては自然な当て方になっています(強拍である1拍目に高アクセントがきているし、前の音からの音程としても適合)。下段の明治38年版では、悪いとまでは言いませんが、歌い手には、決められたルール内でいかに自然に聴かせるか?という課題が課せられてしまいます。
同じメロディーを持つ唱歌「夏」
「夏は來ぬ」と同じメロディーを持つ唱歌に「夏」があります。
実は最近までその存在を知らなかったのですが、色々調べていたところ、混乱の末、知るに至りました。
混乱
なぜ混乱の末なのかというと、明治33年版が掲載されているはずの『新撰國民唱歌 第二集』を閲覧したときに、「夏は來ぬ」がなく、代わりに「夏」が収録されていたからです。
え!?そんなことある?
同じ本なのに収録されている歌が異なるとは、何かトラブルでも…!?
よく見ると表紙や奥付の情報が異なりました。「夏は來ぬ」が掲載されているほうには “大阪 三木楽器店印行” とあり、著作者は小山作之助、発行者は三木佐助。「夏」が掲載されているほうには “東京 大阪 開成館蔵版” とあり、編纂者は教育音樂講習會、発行者は西野虎吉。しかも後者は前者の翌年の発行と、1年遅れ。
一応別物だというわけです。
ただ、三木楽器と大阪開成館は同じ会社を指すよう(詳細はこちら)なので、同じレール上にあるものではあると言えます。なぜ「夏を來ぬ」を「夏」に差し替えたのか、その理由までは分かりませんでした。
歌詞
「夏」の歌詞は下記のとおりです。
あたらしく、ほりたる池に、水ためて、
金魚はなさん、夏こそ今よ、いざ來れ、手をうてば、群くる鯉を、數へつゝ、
橋を渡らん、夏こそ今よ、いざ來れ、おとゞひが、作りあひたる、築山に、
苔をはやさん、夏こそ今よ、いざ來れ、葉櫻の、若葉すゞしき、下蔭に、
釣床つらん、夏こそ今よ、いざ來れ、そよ風の、ふきくる夕べ、ぶらんこに、
のりて遊ばん、夏こそ今よ、いざ來れ、紫に、菖蒲花咲く、公園を、
そゞろあるかん、夏こそ今よ、いざ來れ、蓮の葉の、丸く浮べる、田の水、
目高すくはん、夏こそ今よ、いざ來れ、ここかしこ、蜻蛉おひつつ、疲るれば、
草にねころぶ、夏こそ今よ、いざ來れ、:
:※20番まで
作詞者は “無名氏” つまり不明です。作曲者は小山作之助のはずだが本元子となっています。でも別人ではなく、小山作之助のペンネームが本元子なのでした。
ネットで調べてみると、「夏は來ぬ」のほうが「夏」より優れているといった論調を見かけますが、優れているのと好きになるのとは別問題。私としては「夏」の歌詞のほうが好きです。なんというか、躍動的な感じがするのが良いし、どことなく平凡で懐かしさまで感じます。ただ、20番まであるとなると、ちょっとくどい気もします。
伴奏について
現代ではほぼほぼ伴奏をつけて歌われますが、原曲には伴奏はありません。冒頭の動画では、音楽之友社発行の『日本の唱歌』(校訂/編:藍川由美)における伴奏譜を用いていますが、これは1947(昭和22)年に文部省発行した教科書『5年生の音楽』に掲載された伴奏譜のようです。
また、その前年の1946(昭和21)年には『師範音樂 本科用巻1』が文部省から発行されていますが、こちらに掲載の伴奏は、片山頴太郎がつけたもので、やや複雑な感じに仕上がっています。この昭和21年版も歌いましたので、是非お聴きください。
また、1986(昭和61)年にドレミ楽譜出版社から出版された『日本抒情歌全集1』(編:長田暁二)に掲載されている伴奏譜で歌われているのも耳にすることがあります。この楽譜は、日本の歌が好きな人なら買ったり借りたりすることが多い気がします。私も持っています。
歌い方のポイント
最後に、「夏は來ぬ」を歌うにあたってのポイントを挙げていこうと思います。
大きなフレーズで歌う
まず第一にこれです。歌詞を細かく歌ったり音程を正確にとろうとしたりすると、どうしても音楽の捉え方が小さくなりがちです。木を見て森を見ずとでも言いましょうか。
それだと、音楽がガタガタし、心地良いものから遠ざかってしまいます。
多くの歌で言えることですが、音楽のフレーズは大きく捉え、森全体を見渡しながら個々の木を歌っていくような感覚が必要です。経験上、そのほうが息も長くなりますし、安定して歌いやすくなります。
言葉を明瞭に
「夏は來ぬ」の歌詞は、パッと聞いただけでは分かりづらい部分があります。
- 早もきなきて:早くも、来て、鳴いて…という意味を把握しつつ歌います。私の亡き祖母は “早起き鳴きて” と歌っていましたが、もちろん誤りです。
- 窓近く&門遠く:それぞれ3番と4番ですが、対比になっています。ここが聴き手に伝わらないと面白くないですね。
- 楝ちる:ひらがなでは “おうち ちる” ですが、オウチチルではなくオーチチルと発音します。しかし “おぉチチルちゃん!” ではないですから、オウチ(センダン)の花が散るという意味合いを込めて歌います。
また、”早もきなきて” や “忍音” など、音が低くなるところは、実に聞こえづらくなります。子音をやや強めにして歌うと良いかもしれません。
あと、各番の歌い出しの発音…といいますか歌い方は重要ですね。おそるおそる入らず、自身を持って斬り込んでいく感じで歌うと、そのまま息を流していきやすくなり、フレーズも大きく取りやすくなりますよ。
各尾の “夏は來ぬ” は全てを受けて
「夏は來ぬ」という歌だから各番最後の “夏は來ぬ” に気合いが入りがちですが、そこだけ突出すると美しくありません。
57577 を受けての “夏は來ぬ” 〆です。朗読を繰り返し、”そんな夏が来ました” という締め方に聞こえるように工夫したいものですね。
となると、”夏は來ぬ” と歌う前のところの歌い方と、そこからの繋ぎ方をどうするか考えたほうが良いかもしれません。
ひとりで歌うなら好き勝手に歌えば良いですが、聴き手に伝えるように歌うには、唱歌といえど工夫を盛り込む必要があります。ぜひ意識されてみてくださいね。


コメント
初めまして。夏は来ぬ、の歌詞の変遷を調べていてたまたま訪問いたしました。わかりやすくまとめて下さりありがとうございます。夏、という唱歌の存在も初めて知りました。
私の私見ですが、お経に貴賤両塔という文言があり、やはりある時代に訂正されております。本義は公家、貴族も庶民も含めすべての仏、という意味です。
賤民という差別用語を言葉狩りする過程で正しい意味が抹殺された例です。
だから、賤の女はいわゆる被差別民ではなく、庶民の女性という意味で、早乙女というエロスを感じさせる改変は作詞家自身のものでも昭和戦前の堕落を感じいやです。
僕は賤の女で歌って文句が出たら、賤の意味を解説し、若い女が生足だして田植えするなんて歌詞を子供に歌わせてるほうがどうかしてると言ってやりますよ。
蛇足ですみません。他の記事も楽しく拝見、拝聴しております。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
「賤」という言葉の背景に関するご考察、大変興味深く拝読いたしました。
私の記事では、作品に直接的にまつわる資料に基づき「夏は來ぬ」の歌詞に現れる言葉を紹介する形をとっておりますが、こうして多面的な視点をいただけるのはとてもありがたいことだと感じております。
今後も歌詞の魅力をいろいろな角度から味わっていければと思います。