あめふりくまのこ(鶴見正夫、湯山昭)おやまにあめがふりました…

唱歌・童謡

お待ちしておりました!

雨の歌はたくさんありますが、今回は、童謡「あめふりくまのこ」という、まるで絵本の世界のようなかわいらしい歌についてお話しをしていきたいと思います。

まずは私が歌ったものを掲載します。ぜひ最後までお聴きください。

声楽レッスンで取り上げ、シニアの女性生徒に歌ってもらったこともありますが、すごく声とマッチしていたことを思い出しました。私が歌っても、あまりかわいらしさがありません。ま、仕方ないですね。

では、「あめふりくまのこ」について掘り下げていきたいと思います。

おまけから生まれた名曲

「あめふりくまのこ」は1961(昭和36)年に作詞、翌年に作曲され、NHK『うたのえほん』の中で6月の歌として発表されました。

ただ、この歌が生まれた経緯を見ると、意図して作ったものではないことがわかりました。作詞者の鶴見正夫さんにとっての本命は別の歌で、「あめふりくまのこ」はおまけだったのです。

新作に同封した「あめふり くまのこ」

1986(昭和61)年の季刊『どうよう』第五号に作詞者のお話が載っているため、以下に引用してみます。なお、原詩の場合は「あめふり くまのこ」というように間にスペースが入るようです。

…NHK「うたのえほん」に、六月のうたを書くことになった。私は頭をひねり、コトバをこねくって、新作の詩を書いた。やっとのことでできあがり、番組担当の岡弘道さんにあてて郵送する時になって、ふと思いついた。ノートの「あめふり くまのこ」を原稿用紙に書き写し、「本命は、もちろん新作の詩だが、もしお使いいただけるようなら、そしてその機会があるなら、これもよろしく」という旨を書き添え、あつかましく同封した。
  ところが間もなく、作曲の湯山昭さんと担当の岡さんが選んだのは、頭をひねって作った新作ではなく、なんと同封した「あめふり くまのこ」のほうであった。

こうして名曲が誕生したわけですが、もし「あめふり くまのこ」を同封していなかったら、今この世には無かったのかもしれません。そう考えると、もはや運命ですね。ただ、新作とやらも気になります。もしこれが選ばれていたら、いったいどんな歌が生まれていたのでしょう。

くまのこは作詞者の息子だった!?

上に作曲に至る経緯を書きましたが、作詞の経緯というものももちろんあります。

これについても、先ほどと同じく『どうよう』第五号から引用してみます。

 二階の窓から外を眺めた。すると、狭い庭に、小学校に入って間もない息子が傘をさしたまましゃがみ込んでいる。庭にできた雨水の流れをのぞきこんでいる。その姿が、まるで「魚でもいないかな」と言っているように見える。その時、何気なくノートに書いたのが「あめふり くまのこ」であった。

何と言ったら良いのでしょう。素敵だなという言葉に集約されるエピソードですね。

私も、子どもの頃なら、色々とイメージが膨らみました。田んぼに張られた水を見て、これがプールだったら…とか考えたり、通学路にある草の生えた土道を見ては、小びとならここはジャングル大冒険だ…とか空想したりしていました。

しかし大人になってからは、社会や生活のことばかりに追われ、空想する機会が減ってしまいました。歌の時間は、そんな忙殺された大人社会の中で、ゆったりと空想にふけることのできる貴重な時間です。鶴見さんのような感性を忘れないよう、絶えず芸術に触れていきたいものですね。

メロディーの、ひ・み・つ🩵

「あめふりくまのこ」のメロディーは、かわいらしいけれど、どこかしんみりとした儚さのようなものを感じます。

……それはなぜか。

私の感性の問題と言われたらそれまでですが、実は作曲者の湯山昭さんが凝らした工夫に秘密はあるのです。

それをここできちんと説明すると、長くなる上、きっと何のこっちゃ分からなくなると思います。なのでごく簡単にお伝えします。

突如現れる、陰のハーモニー

歌は “おやまにあめが ふりました” で始まりますが、”めが” の音がまずミソなんです。

この歌がドレミファソラシドの音階上に作られているとすると、その “めが” の音はシにあたります。このシの音は、性格的にひとつ上のド(主音)に行きたがるのですが、この歌ではひとつ下のラに下がるのです。そのシの音は、ミソシという短三和音に支えられた音となっており、主音に行きたがる性質が消えています。短三和音は陰を感じるような響きの和音(暗いと言われたりします)です。

そのように、開始早々メランコリーな響きが出てくるわけで、無意識のうちに〈おやっ?〉と感じます。湯山さん自身は、意識してそのように書いたのです。

まだある凝られたハーモニー

“おやまにあめが ふりました” の “た” では、またもや短三和音のハーモニーが出てきます。歌い始めから追うと、

 長三和音 → 短三和音 → 長三和音 → 短三和音

という和音で遷移していくわけです。かなり安直な言い方をすると 明 → 暗 → 明 → 暗 となりますから、悪く言えば不安定、良く言えば豊かな繊細さ。

また、次の “あとからあとから” のところでは、属七の和音(ソシレファ)、属九の和音(ソシレファラ)と続きます。

そして歌の後半は、割と童謡らしいシンプルで安定的なハーモニーでまとめられています。前半は全体的に不安定ですが、属七・属九を経て安定へと進むわけです。

短くてかわいらしい童謡なのにハーモニーには工夫が凝らされており、そこがこの歌を印象強いものに仕立て上げているわけですね。そんな作曲、凡人にはできません。もちろん私もです。

実際の熊には要注意

最後に注意喚起です。

「あめふりくまのこ」に出てくる熊は、本当にかわいらしいです。それは私たちがそのように見たいからです。そこに詩と音楽の力が合わさることで、そう見たいという思いが昇華されていくのです。

しかし実際の熊は、たとえかわいくても、決して侮ってはいけない動物です。子熊といえど、近くには親熊がいます。最近、熊に襲われたり食べられたりする事件も度々聞きますが、熊は人間が想像するよりもはるかに大きなパワーを持ち、まず理性もききません。

山やその付近で見かけても、絶対に近づかないこと。そして、思わず出くわしてしまったときの対処法についても、あらかじめきちんと学んでおきたいものですね。

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