お待ちしておりました!
6月になりましたが、今年は少し涼しい気がきします。ただ、だんだん湿気を感じるようになりました。そういえばずいぶん前から、夜には田んぼのカエルが合唱していますね。心地良いです。
というわけで今回は童謡「靑蛙」。かなりマイナーな作品で、音大出身者ですら知らない方が多そう。こんな歌です。お聴きください。
短いですが、なかなか凝られた作品だと思いませんか?そしてなんかちょっと子どもながらの残酷さを感じます。
では、「靑蛙」について掘り下げていきましょう!
「赤とんぼ」と同じ『童謠百曲集』
「靑蛙(あをがへる)」は、1927(昭和2)年に刊行された、山田耕筰の『童謠百曲集』第2巻の中の一曲です。この童謡集には、かの有名な「赤とんぼ」も収録されています。
青と赤。蛙ととんぼ。
「靑蛙」と「赤とんぼ」は、私にとって、なんだかセットにしたくなる組み合わせです。「赤とんぼ」が有名なのだから、いっしょに「靑蛙」も覚えておきましょう。
歌詞と解釈
改めて歌詞を掲載し、私なりに解釈をしていきたいと思います。
歌詞
流そ、
流そ、
柳の葉で流そ。出水のあとの、
雨がへる。
背なかは靑い。
お腹は白い。あつち、向いちや、くるり、
こつち、向いちや、くるり、
目、ぱち、ぱち。流そ、
流そ、
柳の葉で流そ。
いやはや、なんとも変な詩です(←讃えています)。思わず「ありゃりゃ!」とか「おい何してんねん!」と言ってしまいそうなお話ですね。
いったい何が描かれている?
では歌詞では何が描かれているのか。
……何もクソもないです。書いてあるとおりです。変に深読みしようとせず、そのまま素直に感じとれば良いと思います。
あ、背中が緑でお腹が白い、どこにでもいるオーソドックスなアマガエルくんが水から出てきたみたいだ。柳の葉があるし、そいつに乗せて流しちまえ!……お、くるくるまわりながら流れていったぞ!目をパチパチさせて!こいつぁおもしれぇわ!!
私の感覚では、そんな感じですかね。
要は、無邪気ながらも残酷な描写です。まさに子どもの為す事ですよね。子どもは、カエルを捕まえて もてあそびます。トンボやチョウの翅をむしることもあれば、サナギを開けて中身を見ることもあるでしょう。
ただ、そうやって生物のことを学ぶのが子ども。たしかに倫理的にはダメなことですが、親に怒られたり、生物の報復を受けたり、はたまた怪我をしてバチが当たったと言って、命の倫理を学んでいきます。
そういった教訓がこの歌に込められているのかは不明ですが、私はそう感じました。
“靑蛙” はアマガエルのこと?
歌詞に出てくる “靑蛙” は、青い蛙のことを指します。ですから、アマガエルは青蛙といえます。しかし逆に、青蛙はアマガエルとは限りません。青蛙にもいろいろいます。ただ今回の歌ではアマガエルを指します。
ちなみに、今回の青は、ブルーではなくグリーンです。昔の人たちは、緑色のことを青いといったものです。その名残として、青りんごや青菜がありますね。また、日本語に〈青い〉という形容詞はあるのに〈緑い〉はないのもポイントです。
※そういえば、青信号は一見緑色ですが、一応ギリギリ青色に属する色なんです!という説明を、昔どこかで見た気がします。たしかにカラーコードだと水色みたいな感じなので、青属性で納得いきます。仮に緑色だとしても、青いと呼んで差し支えないでしょう。日本的で良いと思います。
短いけれど歌唱難易度は高い
「靑蛙」はごく短く、1分もかかりません。あっけなく終わります。
しかし、この歌の歌唱難易度は高いです。その理由を以下に示していきます。
いきなり11度のかけのぼり
少し専門的な用語ですが、最初、11度の音域をかけのぼります。前奏なしでいきなりです。下から、ドファソラドファとかけのぼります。童謡ですが、とてもとても、子どもが歌うには難しすぎます。
“流そ” は “流さ” ではない
“流そ流そ” と11度のぼった先の高いファの音には、”そ” ということばがあてられています。高い音だと母音を開いた響きで歌いがちですが、それをすると “流さ” のように聞こえがちです。自分ではそのつもりがなくても、録音するとよく分かります。要注意です。
“ぱち、ぱち” の表現と間(ま)とのバランスが絶妙
“ぱち、ぱち” の歌い方は、実際に私が練習をしていたときもよく悩みました。カエルがパチパチとまばたきをするわけですが、これは実際に音が鳴るわけではありません。あくまで様子を歌っています(擬態語といいます)。
楽譜をよく見ると、ぱ ち ぱ ち の各仮名に対して1個ずつ音が割り当てられています。しかも、ぱ と ち で異なる音があてられている。
ここがなんとも悩ましいんですよね。ぱち と ぱち の2組で捉えるならわかるのですが、音としてはわざわざ別個の扱いになっている。仮に演技をつけて歌うとするならば、どう表情をつければ良いのか、考えあぐねることになりそうです。
さらにその直後、複縦線とフェルマータによって一旦歌が終わり、再び冒頭と同じ節を歌って終曲となります。一旦終わるということは、間(ま)が発生するということです。
目をパチパチさせたカエルは、いったいどうなってしまったのか。カエルは最後、子どもたちに対して何か言い残したげに流れて行ってしまったのでしょうか?……あぁ、おぞましい。。
以上を踏まえると、この一部始終は、一瞬の出来事にもかかわらず、スローモーションかのように感じられる箇所にも思えてきます。子どもの頃の体験ってかなり濃厚で、大人からしたら小さなことでも、子どもにとっては大きくて長い体験だったりするんですよね。そしてそれが思い出にも教訓にもなります。
歌でもそれを表現できれば最高ですが、だからこそ難しいのです。しかもたった何十秒かの歌。非常に濃いですね。


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