北秋の(清水重道、信時潔)

歌曲

お待ちしておりました!

急に肌寒くなったと思いきや、汗ばむ陽気の日もあり、気候はジェットコースターのようです。それが秋らしいといえば秋らしいのですが、もうちょっと過ごしやすい気候が安定的に続いてくれたら嬉しいと思う今日この頃。

さて、今回は信時潔の「北秋の」です。まずは私は歌ったものを……。

信時らしい端正さと奥ゆかしさのある一曲だなあと思います。

では早速、「北秋の」について掘り下げていきましょう!

歌詞の意味、解釈

「北秋の」は、1935(昭和15)年頃に作られた歌曲集『沙羅』の第3曲にあたります。各曲が単独の歌曲であり関連はありません。「北秋の」も、これ単独で解釈を進めていきたいと思います。

歌詞

北秋の
峡のこヾしき道のくま
わが見し花に
名づけてよ 君

いなむしろ
君によそへて
呼ばましものを

みつみつし
白く小さき
北秋の花

【口語訳(意訳:弥生歌月)】

北秋の山間(やまあい)の、ごつごつした険しい道の片隅で、私が見た花。その花に何か名前をつけてみてよ、君。

いや、むしろ、君そのものにたとえて名前を呼ぶほうが良かっただろうなあ!

なんともたおやかで、白くて小さい北秋の花。

言葉の意味

北秋:ハッキリとはしませんが、北国の秋、もしくは秋田県北部を指すといった見方があります。

峡:山と山に挟まれた谷間を指します。山峡(さんきょう)と呼ぶことも多いかもしれません。ちなみに、現在の山梨県は甲斐でした。掛けているのか偶然なのか…。山梨県は北国でもないので、甲斐というのは考えすぎかもしれません。

道の隅:字のとおり、道の隅(すみ)。ただ、東北地方を意味する陸奥(みちのく)という言葉と掛けている可能性もあります。それだと、北秋=秋田県北部という説とも整合性がとれます。

いな:感じで書くと〈否〉。現代的な言葉でいうと、否定するときに使う〈いや〉です。余談ですが、私が昔付き合っていた女性は、メールで〈いや〉と言うときに〈否〉と書いていました。古風な方でしたね。

よそふ:漢字にすると “寄そふ" “比ふ” であり、〈比べる〉〈なぞらえる〉〈たとえる〉といった意味のある言葉です。”装ふ” とも書けますが、こちらは〈準備する〉という意味なので文脈に合いません。

呼ばましものを:”呼ばまし” は、〈呼んだらよかった〉〈呼んだことだろう〉と、事実として起こらなかったことを思う表現です。”〜ものを” は〈〜のに〉という逆接用法のほか、〈〜のになあ〉のような詠嘆の意味もあります。以上から、私は〈呼ぶほうが良かっただろうなあ!〉と訳しました。あと細かいですが、これは基本的に過去に対して使う言葉なので、北秋の花を見つけてから時間が経過した頃に発した言葉と思われます。

みつみつし:天皇や神などの光を意味する〈御厳/御稜威(みいつ)〉という言葉から転じたという説があります。原詩では “みつし” となっています。〈輝かしい〉〈神々しい〉といった意味になろうかと思いますが、発音の近い〈瑞々しい〉と訳しても文脈に合うと思います。私は〈たおやか〉と訳しました。

歌詞の解釈

一言でいうと、これは恋の歌です。しかし、実際その場に恋人はおらず、いるつもりで “君” と呼びかけている…というのがよくある解釈です。

私個人としては、別にその場に恋人がいてもいなくてもどうでも良い…というか気分で変わります。当然、いるかいないかで、歌うときの感情は別のものになります。もしいないのだとしたら、なぜいないのか。その理由よっても感情は別のものになります。

いない理由としては、単に一人旅(つまり恋人は地元に置いてけぼり)というのがまずひとつ。ほかには、片想い、生き別れ、死別、失恋、はたまた非人間への恋など、色々想像が膨らみます。

一輪の花を見つけたとき、主人公はその可憐さに心を奪われますが、最初は “君” に対して “名づけてよ” と言っています。でもよくよく考えてみると、それだとまるで浮気。デート中に別の異性の人が気になってしまうようなものです。でも本当は違いますよね。その一輪の花は恋人そのものだと感じたわけです。そして後になって “君によそへて呼ばましものを” と思うのです。そこにある感情は、単に たおらしい花だなあというもののみならず、恥じらいのようなものもあったことでしょう。私はそのように読み取りました。

私がかつてお世話になった声楽家は、もっと肉食的な解釈をしていました。”呼ばましものを” のところで音楽的に盛り上がるのは性的な欲情だ、と彼は言っていました。つまり、あのコとシたい!という気持ちだということです。男なら少なからずあり得る話だと私は思いました。しかし受け入れがたく感じる人もいるかもしれませんね。

歌うときに気にしたいこと

ここからは音楽的なお話です。

「北秋の」は、声楽を学ぶ人なら一度はどこかで触れるかと思います。それくらい、界隈ではメジャーな歌。入試で歌う人もいらっしゃると思うので、しっかり解説をしていきます。

“北秋” は キターキ ではない

発声のことばかり気にすると、 “北秋” は キターキ となりがち。”秋” の “あ” では少し言い直すように発音します。

ただ、あまりに “あ” を明確に発音しすぎると、”北” と分離してしまいます。あくまで “北秋” でひとつの単語であることを意識したうえで、 “あ” を少し言い直すのがポイントです。

ガ行は鼻濁音

ガ行の発音は、語頭や数詞や多くの外来語や擬音語・擬態語などを除き、基本的には鼻濁音です。鼻濁音とは、発音記号で [ŋ] となる軟口蓋鼻音です。慣れないと難しいですが、レッスンと自主練習を通して習得することが望まれます。どうしても無理なら、柔らかく発音する意識を持つだけでも印象は変わります。

鼻濁音は、メモをする際に カ゜キ゜ク゜ケ゜コ゜と表記できます。鼻濁音に慣れない人は、楽譜に書き込む際にその表記でメモをしておくと良いでしょう。

「北秋の」では、まず “こごしき” の “ご” はガ行です。そしてこれは紛うことなく鼻濁音です。ただ、あえてゴツゴツ感を出したいなら、わざと普通の濁音(清濁音)で発音するのは表現上ありだと思います(ただ、音大入試等では基本スキルを見られるので、無難に鼻濁音にするほうが良いでしょう)。

もうひとつ、”わが” の “が” も鼻濁音ですね。これを普通の濁音にすると、イメージとしては〈私 が!〉となってしまいます。別にそこは強調する箇所ではないので、わざわざ普通の濁音にする意味合いは薄いと思います。

“名づけてよ 君” は、開放的に甘い気持ちで

地味に難しいのが、”名づけてよ 君” です。音が高くなりますからね。

でも、こここそ開放的に甘い気持ちで歌うことが大切です。発声のことばかり気にするとノドが詰まります。恋人に対して呼びかけて歌うところなので、それを意識したいものですね。

テクニック的には、音が高くなるところでやや下に向けて声を出す感覚を持つと、ノドが詰まりにくくなります。口は開きすぎず、むしろ横に開く感じのほうがうまくいきますし、日本語の響きとしても自然です。ただ、軟口蓋の後ろは縦に広げるような感覚を持ち、声楽的な響きを保ちます。

“いなむしろ” はしっかり分けて

歌詞では “いなむしろ” とつなげて表記されていますが、意味で分けると、”いな、むしろ” です。その前で歌った内容を “いな” で否定するわけなので、ここはしっかり発音したいところ。

しかもここ、間奏がクレッシェンドをかけてから歌ではじめて mf が出てくるところです。愛ある否定の気持ちを持って、でも乱暴にならずに歌いたいところです。

拍子が変わるのは、感情の高揚

「北秋の」は4分の2拍子ですが、”呼ばましものを” のところで、一瞬4分の3拍子になります。信時潔なら、ここを4分の2拍子で書くこともできたはず。でも言葉のリズム感や波を大切にしたかったのでしょう、まるで山田耕筰のようにわざわざ拍子を変えているのです。

しかもここ、一抹の後悔と惚気が見られる箇所。クレッシェンドも書かれているので、その感情が高まるところです。accel. 気味に歌っても問題ないと思います。ここのクレッシェンドを、単に音量を大きくしていくものとして捉えるのはナンセンスといえましょう。

p は陶酔

“みつみつし” から少し気持ちが落ち着くように見えますが、実は陶酔フェーズへと入っていっています。声も甘く、ピンク色になっていき、最後の “北秋の花” ではデレデレ、いや、デロデロな状態といえましょう。

こんなところで発声のことなんて気にしたくないのですが、皮肉なことに、この歌で最も難しい箇所。最高に陶酔した p を、高い音で維持しなければなりません。いや、それは陶酔状態だからこその結果なのですが、わざわざ歌として演じるのが難しいのですよね。

テクニックとしては、男性なら裏声を使っても良いと思います。声楽の世界には裏声を嫌う人もいますが、陶酔しているのに裏声がダメというのが私には分からないです。ただ、肉声で声を届けるにあたり、声の芯は必要。スカスカな裏声ではなく、豊かな響きを持った裏声である必要はあります。

入試において裏声を使うのは冒険的ですが、陶酔表現を再現できるならば、そのくらいは冒険しても良いと思います。これを批判する審査員がいたら、その人を恨んでもバチはあたらないでしょう。逆に、陶酔表現にまで至ることが難しい人は、無理に裏声を使おうとせず、無難に処理をするのが良いかと思います。


以上のように解説を進めてきましたが、あくまで私の価値観に基づいています。別の声楽家は別のことを言うかもしれません。それはそれで良いと思います。絶対的な答えはありませんから。

とはいえ歌い手は、意思が曖昧な中で歌ってはダメで、歌う前にデモンストレーションをする際、今回はこうこうこういう感じで歌をつくりあげようという意思が必要です。だからこそ、説得力のある歌が歌えるのです。

…とまあ、偉そうなことを言っていますが、正直、迷いというものは生じます。それも人間味があって良いと思います、たまにはね。

という感じで今回は終わりにしましょう。

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