昼(林古溪、弘田龍太郎)歌につかれ文に倦みて…

歌曲

お待ちしておりました!

今回は、なんとも春らしい、ゆったりとした歌曲「昼」をご紹介したいと思います。ポカポカ陽気で時間がゆっくり流れるような歌です。

まずは私が歌ったものを掲載します。

極力強さを抑えた歌い方を心がけました。口先で歌っているように感じる方も多いと思いますが、支えを保つのが意外に大変です。

では、早速「昼」についてお話ししていきましょう!

歌詞の解釈、そしてイメージ

「昼」には、やや分かりにくい言葉が使われています。まずそこがハッキリしないことには歌は歌えませんので、歌詞の解釈からしていきましょう。

歌詞と解釈

歌につかれ 文に倦みて
攜へ行くや 春の野
小川の根芹 おしわけにぐる
小鮒の腹 白く光る

霞む空に 名乘る雲雀
しばしは息へ 堤に
つくしは誇り 菫うつぶす
小草しきて 汝も臥せや

【解釈文(訳:弥生歌月)】

歌に疲れ、本にも飽きてきたら、それらを持って行くわけですよ、春の野に。すると、小川に生えた根芹をかき分けて逃げる小鮒の腹が、白く光るのが見えるのです。

霞んだ空には、「わたしだよ」と名乗るように雲雀が鳴いて飛んでいます。しばらくゆっくりしていきなさい、堤に降りてきて。つくしは勢い良く生え、菫はうつ伏せになって咲いています。小草を敷いて、お前さんも寝転がりなさいな。

私の中でのイメージ

歌詞では、目的語や呼びかけの対象がハッキリと書かれていなので、そこは読み手や歌い手がイメージして補完することになります。私は次のようにイメージしました。

  • 歌:和歌などを詠んだり書いたりすること。
  • (ふみ):本を読んだり書いたりすること。
  • 攜へ(たずさえ):何かはハッキリしないが、持っていく物は書きかけの歌や本かもしれない。主人公は、それらをどうにも手離せずにいて、新たなアイデアを求めて春の野に出たのだろう。
  • 名乘る雲雀(ひばり):雲雀は当然日本語を話さないが、ここではおそらく主人公に向かって自分の存在をアピールしているかのように鳴いているのだろう。雲雀は春の鳥。主人公はきっと春を強く感じていると思う。
  • 息へ(いこえ):〈息ふ〉の命令形だが、いったい誰に声をかけているのか。もう一人誰かいるのか?いや、きっと雲雀に声をかけているのだろう。名乗る雲雀というくらいのだから、主人公にとっては特別な存在かもしれない。主人公も堤に座っていて、隣に来てほしいと思っているかもしれない。いっしょにおしゃべりでもしたいよね。
  • (なれ)も臥せや:これも雲雀への呼びかけか。雲雀はあまりにも忙しく飛んでいたのだろうか。そこまでして雲雀に休んでもらったり寝転んだりしてもらいたいのは、いったいなぜだろう?雲雀は “誰か” の象徴か化身なのだろうか。そこまで考えたら大袈裟な気もするが、想像はいくらでも膨む。親として捉えた場合、友人として捉えた場合、きょうだいとして捉えた場合、恋人として捉えた場合…という具合に、いろいろ解釈できそう。

以上です。これが答えというわけではなく、あくまで一例として捉えていただけると幸いです。

弘田龍太郎の学生時代の作品?

弘田龍太郎は、童謡「靴が鳴る」「春よ來い」などを書いた作曲家です。では、「昼」はいつ書かれた作品なのでしょう。

作曲年はどっちなんだい!?

彼は1910(明治43)年に東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)本科器楽部ピアノ科に入学し、「昼」については学生時代に発表したそうです。若くしてすでに才能を見せていたと。卒業から3年後の1917(大正6)年には、作曲部へ再入学したとのことです。

弘田の出身地である現・高知県安芸市の公式サイトでは、安芸市民俗資料館が弘田についてこう書いています。

同43年、東京音楽学校 (現東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学。在学中に歌曲「昼」を作曲。大正3年卒業

ところが、です。

私の手元にあったドレミ楽譜出版社『日本抒情歌全集』第2巻にある「昼」の頁で、長田暁二氏はこう解説しています。

国文学者で東京音楽学校の講師だった林古渓(1875~1947)が,明治45年7月に発表した『春声四篇』(一〜暁,二~朝,三~昼,四~夜)の中の詩である。弘田龍太郎が東京音楽学校在任中の昭和2年2月に作曲し,一般にも広く愛唱された。

おやおや!?こちらでは作曲年が1927(昭和7)年となっているではないですか!

どっちなんだい??

……私は、安芸市民俗資料館の学生時代説を推したいです。というのも、こんな論文があったからです。

神戸女学院大学論集第65巻第1号「東京音楽学校学友会『音楽」に見る芸術歌曲の「奨励」」(著:津上智実)という論文です。こう説明されています。

 …『弘田龍太郎作品集』(1959)に収録されたのは、<昼、春声四篇の中><かもめ><蝉の小川>の3曲である。
 この作品集の記載によれば、<昼、春声四篇の中>は「明治45年7月16日」(III:121)に書かれ、その後、第1曲<暁>、第2曲<朝>、第4曲<夜>が昭和2年2月3日、15日、24日に書き足されて、四部曲<春声>にまとめられたと推測される。そもそも林古渓の詩「春聲」は『音楽』3巻4号に4部揃った形で掲載されており(28-29頁)、弘田はまずはその内の「昼」のテキストに附曲して公表したことになる。

以上をまとめると、「昼」は四部曲『春声』の中の一曲であり、第3曲「昼」のみ1912(明治45)年、第1曲「暁」と第2曲「朝」と第4曲「夜」は1927(昭和2)年に作曲されたということになります。で、それら4曲がまとめられてひとつになったと。

そうなりますと、やはり安芸市民俗資料館の説明は正しく、『日本抒情歌全集』第2巻の解説が誤っている(もしくは誤解を招く書き方である)可能性が高いと考えられます。きっと4曲揃った年を「昼」の作曲年としてしまったのでしょう。

四部曲『春声』の第3曲

上に書いてあったとおり、「昼」は四部曲『春声』の中の一曲で、この歌曲集には「昼」を入れて全部で4曲が収められています。

以上の4曲です。

そういえば、弘田さんの有名な歌には春が多いですね。今回の『春声』は春で、「春よ來い」は春を望む歌で、「靴が鳴る」も春らしい景色が出てきます(春とも限りませんが)。「鯉のぼり」(”甍の波と雲の波”)も彼の作品ですが、これも気候は春ですね(季語的には夏ですが)。

しかし、弘田さんは「濱千鳥」という有名な歌も作曲しています。これは冬の季語です。

穏やかな声を安定して出す難しさ

最後は音楽的なお話です。

「昼」を歌うとき、どういった声で歌ったら良いのか、私は非常に悩みました。

ステージで歌うときは、後ろまで届かせるため芯の通った発声が前提です。しかし、録音でそれをすると、音がストレートにぶつかりすぎてこの歌の良さが生きないし、録音ならではの微妙なニュアンスの表現が生かされなくなります。

結局は冒頭の動画の歌い方になりましたが、とにかく穏やかさを優先しました。しかし穏やかに歌うことは力を抜くことではありません。歌う上でのずっしりとした支えは必要です。そうでなければ声が揺らぎ、言葉も不明瞭になり、不安定な仕上がりになってしまいます。

穏やかな声であっても、しっかりと腹式呼吸を利用し、遠慮せずに声を吐き出していきます。もしステージで歌うことになったら、その声を発展させた形の、いわゆる声楽的な発声を存分に生かして歌うことになりましょう。

なお、この歌は8分の6拍子なので、その拍子感に合わせて体を揺らしがちになりますが、発声のことを考えたらあまりよろしくないと思います。なぜなら重心や軸が不安定になるからです。ただし、揺れてもきちんとコントロールできればその限りではないでしょう。

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