海ゆかば(大伴家持、信時潔)

歌曲

お待ちしておりました!

「海ゆかば」には有名なものが2曲はありますが、特に有名なのは、信時潔が大伴家持の古歌「海行かば」を用いた歌曲です。

私がピアノ伴奏にて歌っているものがあるので、まずはお聴きください♪

短い歌曲ですが、歌詞は実に国家主義的な内容となっており、インパクトの大きい歌ですね。

準国歌、軍歌、レクイエム

この歌から第二次世界大戦をイメージされる方もいらっしゃると思います。実は私もそのひとり。聞いた話でしかありませんが、あの戦争では、国のためなら命を惜しまずに戦うことが日本人としてのあるべき姿であり、まさしくこの歌の歌詞にある “大君のへにこそ死なめ” のとおりでした。

作曲は第二次世界大戦より前で、1937(昭和12)年です。第二次世界大戦の局面である太平洋戦争のときには、準国歌(第二国歌)として扱われたりもしました。ラジオでは大本営発表で敗戦を伝えるときにも使われ、これにより戦争を象徴しうる歌として広まりました。

それゆえ、軍歌や鎮魂歌(レクイエム)と呼ばれたりもします。

作曲者・信時潔の思いは?

作曲の張本人である信時潔。彼は、数々の日本歌曲や校歌などを生み出し、同時期に活躍した山田耕筰の繊細な作風とは対照的に、わりと厳かな作風が特徴的です。

そんな潔は、「海ゆかば」に対して、いったいどんな思いを抱いていたのでしょうか。

信時潔が語った内容

潔の孫である信時裕子氏の編著作である信時潔音楽随想集『バッハに非ず』の「解説」の中では、週刊『新潮七巻四十八号』(1962年12月3日号)に掲載されたインタビュー記事「私のことば」における潔の思いが紹介されています。

 あの当時のことに対する私の気持ちは少し複雑でね、デリケートなものもありますし、ここで簡単に口でしゃべるわけにはいきません。ただ、あの『海ゆかば』が、今も人々に歌われるとすれば、それはあの当時の戦死者とか靖国神社とか、そういったなまなましいイメージを絡ませて歌われないと思う。少なくともそうあってはならないんです。もしああいう歌が次の世代に歌われるとすれば、作られた当時の広い意味での、実用価値を越えた芸術的価値ですね。フランス国歌をごらんなさい。フランス革命の、そりゃ戦闘的な歌ですが、そういうものを離れてフランスの国歌になっているでしょう。皆に長く歌われる歌とはそういうものです。
インタビュー記事なので読みにくい部分もありますが、貴重な文章ですね。

軍歌ではなく芸術として

潔の思いとしては、「海ゆかば」は軍歌を離れ、ひとつの芸術として歌い継がれるべきだというわけです。しかも注目したいのは、作曲当時から芸術としての広い意味を込めていた点です。

元々作曲の経緯は、国民精神総動員強調週間を制定した際のテーマ曲としてNHKに依頼されたというものです。

しかし、潔の本心はいかがなものだったでしょうか。

歌をどう捉えどう解釈するかは聴き手の自由ではあります。ただ、作曲者の思いに心を寄せてみると、曲の新たな側面が見えてきて、聴き方や歌い方が変わることもあります。

もうひとつの「海行かば」

知る人ぞ知る、もうひとつの「海行かば」があります。

それは、1880(明治13)年、宮内省伶人の東儀季芳が作曲したものです。雅楽調ゆえか、どことなく国歌「君が代」と似ています。

単体で聞くことはそうそうないかと思いますが、軍歌として有名な「軍艦行進曲」の中間部にも使われている(省略されることもあるけど)ので、そちらで聴くことができます!

というわけで、私が歌った「軍艦行進曲」を掲載します。「海行かば」は1:13あたりからです。

信時潔のとは歌詞が少し異なりますね。

以上で、「海ゆかば」についての記事を終わります!

なんだか表面だけ見ると右翼のような内容ですが、今回はあくまで、思想から離れての、作品に関するお話としてお伝えしました。

では!

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