青葉の笛(大和田建樹、田村虎蔵)一の谷のいくさ破れ…

唱歌・童謡

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「青葉の笛」という、知る人ぞ知る歌があります。1906(明治39)年の尋常小学唱歌です。この歌のテーマは一ノ谷の戦いで、原題は「敦盛と忠度」。つまり平氏のお話です。

まずは私が歌ったものをご紹介したいと思います。

 

これは私がYouTubeを始めて間もない頃にアップしたのですが、私のYouTubeチャンネルの火付け役となってくれた動画です。

知る人ぞ知る歌

今の時代、あまり多くの人は知らない歌です。ただ、私が持っている楽譜には掲載されており、また自分の声にも合う気がしたので歌ってみました。そしたらなんと、思いのほか聴いてくださる方がいてビックリしました。当初、正直、一日に1人くらい聴きにくれば御の字と思っていました。

ひょっとすると知る人ぞ知る歌なのではと思いました。舞台は一ノ谷の戦いですし、歴史が好きな人にとっても興味深い歌なのではないかと思います。

悲しく、はかない歌

この歌の詳しい解説についてはこちらのサイトが詳しいので省きますが、簡単に申しますと、自分の息子と同じくらいの男子(平敦盛)を渋々討つことになったり、素晴らしい歌の詠み手(平忠度)を討ってしまったりしたのを描いている歌です。

私には子供はいません。その代わり犬や猫を飼っています。もし、うちの犬と似たような犬を、敵の犬だからという理由で斬ることになったら、それはもう断腸の思いとなるでしょう。泣きながら使命を全うし、後々罪の念を背負いながら生きていかざるを得なくなることでしょう。

この歌を好んで聴かれる方は比較的お歳を召された方が多いと思いますが、その方々にはおそらく子供を持つ方も少なくない。となると、この歌を聴いて、私以上にしみじみと憐れみの気持ちを噛み締める人もいらっしゃるものと推測します。

1番と2番とで変えるべき声の表現

私のスキルもままらないので偉そうなことは言えませんが、この歌は、1番は平敦盛、2番が平忠度のお話なので、当然同じベクトルでは歌えません。感情の込め方、息継ぎのとり方などが変わってきます。

感情から歌声への変換

とはいえ、感情に溺れた歌い方をしても、それは歌い手の独り善がりな演奏となりますし、感情が先行して発声が揺らいでしまえば、声楽的にはネガティブな結果となります。感動を覚えるべき人は、歌い手ではなく聴き手なので、聴き手が自由に思いを巡らすことのできる歌を歌いたいものですし、その巡らしを歌い手が邪魔することは基本的には避けたいものです(まあケースバイケースですけど)。

そうなると、感情をいかにして歌声に変換するか?を考える必要が出てきます。

そうしてあれこれ考えたうえでスマートな形に仕上げたのが、冒頭でご紹介した私の歌です!

今になって聴くと「まだまだだなあ」と思いたくなりますが、当時としては精一杯歌ったつもりです。歌詞を読み込み、心に感じたものを発声技術的に置き換えました(たとえば歌詞の「あはれ」は、やや声を揺らし気味にして憐れ感を出す、など)。そして私の声は元々翳りがあるので、それも生かしてみたつもりです。

同じメロディーでも異なる歌い方

また、1番の最後は
 “聞こえしはこれか 青葉の笛” 
2番の最後は
“残れるは「花や 今宵」の歌”
なので、同じメロディーであっても、ことばのまとまりや紡ぎ方が変わります。

何の歌でもそうですが、1番と2番をまったく同じように歌うということは、そうそうありません。歌詞が違えば当然解釈も歌い方も変わりますね。

というわけで、今回は以上です!

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