君が代(古歌)主な6種類

儀礼歌・讃美歌

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時の経つのがとても早く感じられる今日この頃。そして今年も8月15日を迎えました。80年前の今日、日本にとって大きな節目となりました。色々な感情が交錯し、実に多くの人たちが、平和への祈りを捧げたことでしょう。

今回は、日本の国歌「君が代」とその他の「君が代」合わせて6種類取り上げます。歴史についてはすでに多く語られているため、そこには深入りせず、複数の「君が代」を並行して、浅く広く説明していきます。

6種類の「君が代」

今の国歌「君が代」は、日本の国歌が考案された当初からあったわけではありません。初代は、別のメロディーでした。また、唱歌として「サザレイシ」や「君が代」も生まれましたが、今はほとんど知られていません。

ここで私が歌った数々の「君が代」の動画を掲載します。

この動画の曲順は下記のとおりです。

  • 0:05 和歌披講「君が代」甲調(監修:大原重朝・大原重明):宮中歌会始では和歌披講が行われますが、「君が代」も詠われてきました。
  • 2:20 初代「君が代」(作曲:J.W.フェントン):礼式曲として作られ、軍楽隊による演奏の歴史があるも、今回は無伴奏にて歌いました。
  • 3:38 保育唱歌「サザレイシ」(作曲:東儀頼玄):曲名は違えど歌詞は「君が代」と同じ。無伴奏にて歌いました。
  • 5:56 二代目「君が代」原曲無伴奏版(作曲:林廣守):現在の国歌の原曲で、本来は雅楽ですが、無伴奏にて歌いました。
  • 8:16 二代目「君が代」ピアノ伴奏編曲版(作曲:林廣守、編曲:F.エッケルト):現在国歌として実際に演奏されることの多い形態です。吹奏楽もありますが、ピアノ伴奏版にて歌いました。
  • 9:12 小学唱歌「君が代」(作曲:S.ウェッべ):現在の国歌より新しく、3代目と呼ぶ人もいるようです。讃美歌のような印象です。オルガン伴奏にて歌いました。

いずれも、『古今和歌集』に収められている和歌が元となった歌詞となっています。

ではひとつずつ、簡単に解説をしていきましょう。

和歌披講「君が代」甲調

和歌披講は平安時代のあたりから行われ、現在では1月の宮中歌会始で行われています。そこでは綾小路流の甲調・乙調・上甲調の3種類の節(ふし)が使われます。

和歌披講とは、節をつけて和歌を詠むことです。冒頭の動画では、甲調の節に「君が代」を充てており、1931(昭和6)年に出版された五線譜版を読んで歌っています。

甲調の最後の音はとても低く、私の声質だと運が良くないと出ません。それに、録音では音を拾えるものの、肉声だとほとんど聞こえません。

初代「君が代」

フェントン作曲「君が代」楽譜

和田信二郎著『君が代と万歳』(S7) より

1870(明治3)年発表。作曲者はイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長・J.W.フェントン。日本に国歌がなかったことから、彼が奮起して「君が代」を作曲しました。C dur と F dur の楽譜を確認しましたが、今回は F dur で歌いました。

好まれざるメロディー

この「君が代」は初代国歌ともいわれますが、当時、西洋音楽に馴染みのなかった日本人には、J.W.フェントンの西洋的なメロディーはなかなか好まれませんでした。

結局、初代「君が代」は、長続きしないばかりか、正式な国歌として採用されることなく、現代でも歌われている二代目「君が代」へのバトンタッチを余儀なくされます。

不自然な音づけ

また、日本語の抑揚や音節とメロディーとが調和しておらず、かなり歌いにくく、また聴き取りづらくもあります。お世辞にも良歌とは言えません。これはJ.W.フェントンが日本語をよく分かっていなかったことに起因しているといわれています。

冒頭の動画では、なるべく自然な日本語に聞こえるように工夫してブレスをとり、メロディーの自然な運び方より、言葉の紡ぎ方を重視しました。音楽的にはかなり不自然な歌い方になっています。

保育唱歌「サザレイシ」

サザレイシ

繁下和雄,佐藤徹夫編『君が代史料集成 第1巻 (君が代論稿・楽譜集)』(H3) より

上記の国歌制作の動きとは別に、幼児教育向けの「君が代」も生まれました。

1877(明治10)年から1880(明治13)年にかけて、東京女子師範学校付属幼稚園の依頼により、宮内省式部寮雅楽課の楽人たちが『保育並ニ遊戯唱歌』(通称『保育唱歌』)を作曲しました。その中に「君が代」と同じ歌詞を用いた「サザレイシ」が収められてました。作曲者は東儀頼玄(とうぎよりはる)です。

しかし、J.Wフェントンの「君が代」よりは遥かに良いですが、変なところに息継ぎ記号があったりします。雅楽由来のしきたりなのかもしれませんが、すっかり西洋音楽に馴染んでいる現代人にとっては、いささか不自然な印象がありましょう。

二代目「君が代」原曲

君が代 原曲

繁下和雄,佐藤徹夫編『君が代史料集成 第1巻 (君が代論稿・楽譜集)』(H3) より

さて、話は国歌に戻ります。1880(明治13)年に、ついに私たちにとって馴染み深い「君が代」が誕生することとなります。これが俗にいう二代目国歌です。

この「君が代」は、宮内省伶人長・林廣守の作曲(撰曲)とされており、壹越調の雅楽にて奏されます。壹越調とは、西洋音階にむりやり当てはめると、レミソラドレ(下行時はレシラソミレ)で成り立つ調性です。

冒頭の動画では、さすがに雅楽を用意することができないため、五線譜を用いて無伴奏にて歌いました。無伴奏とはいえ、言霊を朗々と放ちつつ歌ったつもりです。いざ歌ってみて、この国歌は完成されたものだとしみじみ感じました。

二代目「君が代」ピアノ伴奏編曲版

第二の君が代 ピアノ伴奏

繁下和雄,佐藤徹夫編『君が代史料集成 第1巻 (君が代論稿・楽譜集)』(H3) より

海軍軍楽隊御雇外国人教師であったドイツ人のF.エッケルトは、二代目「君が代」の原曲を用い、吹奏楽用とピアノ伴奏用に編み直しました。

今の「君が代」はF.エッケルト編曲版

現在よく知られているものは、実は原曲ではなく、F.エッケルトによる編曲版なのです。つまり、メロディーは日本人が作ったものの、今よく知られる曲調に整えたのはドイツ人。これは少し意外かもしれませんね。

SNSを見ていると、何につけても外国人を排斥したがる人もいますが、今よく歌われている「君が代」が外国人により編み直されたものであることについて、彼ら彼女らは無頓着。仮に頓着しても、F.エッケルトの功績を無かったものにする人もいるかもしれません。

R.ディットリッヒの手直し版について

時は降り、1888(明治21)年、東京音楽学校の御雇外国人教師となったR.ディットリッヒは、「君が代」を混声四部合唱として編曲する際、F.エッケルトのピアノ伴奏の和声を一部変更したそうです。詳しいことは不明ですが、少なくとも1941(昭和16)年の『国歌君が代の由来』では、”ディットリッヒ氏の調和に係るもの” と説明があります。

君が代(エッケルト=ディットリッヒ)

小山作之助著『国歌君が代の由来』(S16) より

小学唱歌「君が代」

君が代(小学唱歌)

東京音楽学校編『オルガン・ピアノ楽譜 : 小学唱歌集用 訂正2版』(S2) より

18〜19世紀のイギリスの作曲家・S.ウェッべ(ウェブとも)が1787年に書いた「Glorious Apollo」のメロディーを用いた「君が代」が、1882(明治15)年の『小學唱歌集』初編に掲載されました。

讃美歌のような美しさ

原曲の「Glorious Apollo」は、S.ウェッべがグリークラブのために書いた歌で、内容としては音楽の神を讃える歌、仲間との結束を高める歌です。一方、小学唱歌の「君が代」は、内容こそ異なりますが、讃美歌のような美しさがあります。

冒頭の動画では、『オルガン・ピアノ楽譜 : 小学唱歌集用 訂正2版』の楽譜を用い、オルガン伴奏で西洋風かつ神々しく仕上げています。

歌詞にはつづきや2番が!

小学唱歌の「君が代」の歌詞は、国歌などの「君が代」と異なり、つづきと2番があります。以下に歌詞を掲載します。

君が代は。ちよにやちよに。さゞれいしの。巌となりて。こけのむすまでうごきなく。常盤かきはに。かぎりもあらじ。

きみがよハ。千尋の底の。さゞれいしの鵜乃ゐる磯と。あらハるゝまで。かぎりなき。みよの栄を。ほぎたてまつる。

【語句の意味】

  • 常盤かきはに(ときわかきわに/常磐堅磐):永久不変であること
  • かぎりもあらじ:終わることはないだろうの意
  • 千尋の底の:とてつもなく深く広い海底を持つの意
  • 鵜乃ゐる磯(鵜のいる磯):(さざれ石に)鵜がとまる磯のこと
  • あらハるゝまで(あらわるるまで):海の中から出てくるまでの意
  • みよの栄:天皇の御代が栄えること
  • ほぎたてまつる:お祝い申し上げるの意

以上のような深い内容を昔の小学生は歌ったのだと思いますが、やはりこの歌も国歌にはならず、あくまで学校現場での教育歌にとどまったようですね。そして今やきっと、ほとんどの人が知りません。

日本の正式な国歌について

先述したとおり2代目の「君が代」が国歌となりましたが、ではいったいいつ正式な国歌となったのでしょうか。

実はそれ、1999(平成11)年なのです!

それより前は、紆余曲折はあったものの、非公式かつ事実上の国歌でした。つまり国をあげての行事では頻繁に歌われてきたわけです。私も当たり前に国歌と認知して歌っていました。

ところが国歌として定義するものがなかった…。そのため法律で国歌を定めようといいことで、1999(平成11)年8月9日に「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が成立し、13日に広布・施行され、正式な国歌となりました。

“君” とは誰のことか

「君が代」の “君” という言葉については、昔から議論がされてきています。よくある解釈としては、天皇や恋人などです。

天皇と解釈する人からすると恋人と解釈する人が許せず、恋人と解釈する人からすると天皇と解釈する人を許せない……なんていう様子も、SNSでの議論で見かけることがあります。

果たして、本当の意味は何でしょうか。一体誰を指しているのでしょうか。

本来の意味

日本では古くから、”君” とは、あなた・主人・君主・尊い人といった広い概念の意味を持つ言葉でした。つまり、天皇とも恋人とも限らなかったのです(もちろん天皇や恋人でも間違いとは言えません)。

ですから、冒頭の動画の和歌においては、そういった広い概念で捉えても良いと思います。天皇と思いたければそれで良いし、恋人とか大切な人とかと思いたければそれで良い。歌とは元来そういうものです。TPOによっても変わる、柔軟性のあるものです。

極論を言えば、国歌「君が代」においても答えを決める必要はない、というのが私の考えです。

天皇としての意味

“君” に天皇という意味を強く認識するようになったのは、特に国家主義の色合いが強くなってきた頃です。第二次世界大戦の頃には、学校で「君が代」を歌う際、”君” とは天皇であると教え込みました。解釈を強制したわけです。

その頃の影響もあって、今でも “君” は天皇のことにほかならないと考える方もいます。日本の政府も、天皇として解釈しています。

日本国憲法下においては、国歌君が代の “君” は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え、かつ、君が代についてこのような理解は、今日、広く各世代の理解を得られるものと考えている。
(平成11年6月29日 衆議院本会議 内閣総理大臣)

衆議院公式サイトより

この見解が出された1999(平成11)年6月29日から約1ヶ月ちょっと後、「君が代」は法律によって正式な国歌となりました。

以上を考えると、国歌としての「君が代」の “君” を天皇として歌うことは不自然ではありません。ただ、それは狭義的で国家主義的であると揶揄される可能性も当然あります。

ただ先に述べたように、歌は本来柔軟性のあるものです。政府の見解に従わないければならないというルールはありませんし、思想の自由も日本国憲法で保障されています。

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

“君” は天皇のことを意味しているんだ!と信じることは自由です。しかしそれを他者に強要するのは、憲法的にも倫理的にも芸術的にも問題があると私は考えます。

神話由来の意味

“君” の キ は、日本神話に出てくる伊邪那岐(イザナギ)を指すから男。ミ は伊邪那美(イザナミ)を指すから女。そんな解釈も存在します。この2人は神話上日本で初めての男女で、私たちの祖先といわれています。

ただこれは、こじつけ感が否めません。キ と ミ が合わさって キミ と言われても、多くの人の脳裏にはクエスチョンマークが浮かぶものと思います。

ちなみに、黄泉の国に行って妖魔のようになったイザナミは、連れ戻しに来たイザナギを襲おうとするのですよ。しかしイザナギはイザナミを塞ぎ止めました。その後、イザナミは世界を呪おうとしますが、現世に戻ったイザナギはそれに対抗します。なんともドラマチックです。


以上、結果的に長めの記事になってしまいましたが、「君が代」についてのお話でした。

歴史については多くの研究があるため、改めて調べていただくと、より一層見識が深まるかもしれません。

ただ、最後に述べた “君” の解釈については、SNSでも激しい議論が交わされたりしていて、一部では中傷も生まれてしまっています。

実際に歌うときは、自分なりに意味を決めて、自分の歌として歌うことが大切だと思います。歌の解釈をするうえで歴史を学ぶことは有用ですが、解釈を強要されることはあるまじきことです。

今回は主に6種類の「君が代」をご紹介しましたが、一つひとつの「君が代」ごとに自分なりに解釈をして、後世へと歌い繋いでいただきたいですね。

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