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1910(明治43)年1月23日の昼下がり、大変悲しい事故が起きました。逗子開成中学校(旧制)の生徒11人と逗子小学校の生徒1人の計12人が、”箱根号” というボートに乗っていました。しかしボートは、神奈川県の七里ヶ浜沖で転覆し、全員が帰らぬ人となったのです。
同年2月6日に、逗子開成中学校で追悼大法会が催され、そこで追悼・鎮魂歌として歌われたのが「七里ヶ濱の哀歌」。原題は「哀歌」だったそうです。今は、歌い出しの歌詞をとって「眞白き富士の根(嶺)」とも呼ばれます。
私も今回、オルガン伴奏で歌い、祈りを捧げました。
讃美歌調のレクイエムですね。歌詞も非常に慈しみ深いものです。しかし6番まであり、歌い通すのはなかなか大変でした。私もまだまだひよっこですね。
今回は、この「七里ヶ濱の哀歌」について少し掘り下げて見たいと思います。
歌詞とその解釈
鎌倉女学校の数学教師・三角錫子が書いたとされる歌詞は、やはり古いというのもあって、難解な点があります。まずはその読解をざっと行いましょう。
歌詞
眞白き富士の根 綠の江の島
仰ぎ見るも 今はなみだ
歸らぬ十二の 雄々しきみ霊に
捧げまつる 胸と心ボートは沈みぬ 千尋の海原風も浪も 小さき腕に
力もつきはて よぶ名は父母
恨みは深し 七里ヶ濱邊み雪は咽びぬ 風さへさはぎて
月も星も 影をひそめ
み霊よいづこに 迷ひておわすか
歸れはやく 母の胸に御空にかゞやく 朝日のみ光り
闇にしづむ 親の心
黃金も寶も 何しに集めん
神よ早く 我も召せよ雲間に昇りし 昨日の月影
今は見えぬ 人のすがた
悲しさ餘りて 寢られぬ枕に
響く浪の おとも髙し歸らぬ浪路に 友よぶ千鳥に
我も戀ひし 失せし人よ
つきせぬ恨みに 泣く音は共々
今日もあすも かくて永久に
解釈文(意訳:弥生歌月)
雪で真っ白な富士山の裾の先には、緑豊かな江ノ島が浮かんでいます。遠く眺めてみるのですが、今は涙があふれるばかり。帰らぬ十二人の力ある霊たちに、この胸の内と祈りを、心からお捧げ申し上げます。
ボートが沈んだこの広大な海原で、風も波も、子どもたちの小さな腕に襲いかかりました。彼らは力が尽き果ててしまい、最後に呼んだのは父と母のこと。七里ヶ浜は恨みに深く染め立てられました。
霊たちよ、一体どこで迷っていらっしゃるのか。帰るのです早く!母の懐へ…。
神よ早く、私もあの世へ連れていっておくれ!
昨日雲間に見えた月が今日も出てきました。しかし、光注ぐところに人の姿はありません。悲しみがあふれかえり、横になっても眠ることができない私の耳を、響く波の音がけたたましくつんざいてくるばかりです。
行ったまま帰ってくることのなかった波路に向かい、亡くした友を呼ぶ千鳥たち。それを見た私も、その子どもたちを慕わしく思わずにはいられないものです。尽きることのない恨みを抱えて泣くその声は、皆さん同じです。この悲しみは、今日も明日も、そしてそのまま永久に続いていくものと思います。
以上、私なりに解釈してみました。素直な訳ではないので、そこはひとつご了承くださいませ。
数々の謎
この歌には謎が多いと思いませんか。なぜボートが転覆したのか?なぜ別の学校の三角錫子が歌詞を書いたのか?なぜ讃美歌っぽいのか?と、いろいろな疑問が浮かんできます。
というわけでひとつずつ見ていきましょう。
なぜボートは転覆したのか?
気になるのは、なぜ少年たちの乗ったボートは転覆してしまったのか?という点です。
どうやらボートは突風によってひっくり返ってしまったようです。その日は天候も悪くなく、風もそこまで強くなかったそうです。だから少年たちはボートを出そうとした。しかし漁師はとめたそうですね。漁師は海のベテランですから、空の様子などから「これは危ない」と察知したのだと思います。
にもかかわらず、少年たちは制止をふり払って波路へと進んでしまい、結果的に転覆し、全員帰らぬ人となってしまいました。
なお、少年たちなぜボートを出したのか?については、鳥撃ちのためという説があります。しかも無断で…。漁師がとめても「うるせーや!みんな行こうぜ!」という感じで、やんちゃだったのかもしれませんね。そんな子たちでも、亡くなれば神様仏様となります。
三角錫子は愛人のために作詞した!?
そしてびっくりした説が、亡くなった少年の中には、三角錫子の愛人がいたというものです。当時三角は37歳でしたが、少年は20歳未満。もし現代なら大問題となりそうな関係ですよね!
しかし、それはデマと見るべきでしょう。
なぜデマなのか?の根拠は、宮内寒彌の書いた『七里ヶ浜』の中にあります。登場人物は、彼女=三角錫子と、木下三郎=亡くなった生徒です。
美貌で女高師出の才媛であった彼女と、東京帝国大学志望の秀才で眉秀でたる美男子でもあり、均整のとれた体格の持主の水泳選手でもあり、性格も温順であった遭難一号生徒木下三郎(五年生・二十歳)との間に年齢を超越したロマンスが芽生えていたとの噂も残っているが、無論、二人が恋人同士の間柄になっていた筈はない。
……ああ良かった!愛人関係ではなかったようですね。いや、それはそれで面白そうでしたけどね。
ただ他の説として、三角には、『七里ヶ浜』を書いた宮内の父・石塚巳三郎と一時期縁談があったそうです。石塚は、事故生徒のいた逗子開成中学校に勤めてボート管理をしていたが、事故の影響で縁談がなくなってしまったとのこと。
ちなみに三角錫子は、過去に結婚経験があり、離婚も経験しています。
本当に三角が作詞したのか?
哀悼の前に三角錫子がささっと歌詞を書き上げたとされていたりしますが、本当にそうなのか?という話もあります。
三角は本当の作詞者なのでしょうか?
実は、当時神奈川県立師範学校の生徒であった福田正夫という人物が本当の作詞者では?という説があります。福田の四女・美鈴が、そのように語っていたようです。少なくとも3番までは作詞していたとか。
いや、上記は又聞きの又聞きなので、真相は保証しかねますよ!?でももし本当だとしたら、その正夫という人は不憫ですよね。現代なら訴訟問題にまで発展しそうです。
では三角は何をしたのか。追悼大法会でオルガンを弾いたという話もあります。作詞については、本当はしていなかったのか、それとも手を加えるくらいはしたのか、それとも知らないうちに著作権のようなもの(現代の著作権の概念とは別のもの)が三角のものとされたのか……など、色々と考えが浮かんできますね。
原曲は讃美歌?舞曲!?
「七里ヶ濱の哀歌」は、J.インガルスの作曲とされています。
ところが、昔はガーデン(ガードンとも)といわれていました。その理由は以下です。
「七里ヶ濱の哀歌」の原曲は、J.インガルス作曲の讃美歌「When We Arrived at Home」とされてきました。その讃美歌は、讃美歌集の中では 「Garden」として紹介されました。そしてその “Garden” がひとり歩きし、いつしか作曲者名と見られるようになったといわれています。
ただ、「Garden」にも原曲があったそうなのです。その原曲というのは、イギリスの「Nancy Dawson」という舞曲。イメージとはだいぶ雰囲気が違います。
そしてさらにその元となる曲もあって、それが「Piss Upon the Grass」だったそう。←日本語だと「草の上でおしっこをする」です。元を辿ればそんな歌だったなんて…!
日本では、「Garden Hymn」に由来する唱歌「夢の外(ほか)」に始まり、この唱歌の旋律に三角が歌詞をつけて「七里ヶ濱の哀歌」が誕生したとされています。
6番まで歌い通すうえでの厄介さ
さて、歴史だの経緯だのをいくら知ったところで、この歌を血の通った歌にできるわけではありません。
何も考えず歌うだけなら良いですが、6番まで安定して歌い通し、なおかつことばの持つニュアンスを生かした表現をし、決してドラマチックではなく、かといってドライでもない仕上がりにするとなれば、一筋縄にはいきません。
そもそも、この歌は追悼を期した実用的なレクイエムであり、かつ、ミサの中の一曲のようなものです。唱歌でもなく歌謡曲でもないのです。
悲しみを呼び起こす!
「七里ヶ濱の哀歌」の背景には、先述した悲しい過去があります。それはそれは、計り知れないほどの悲しみです。
当時哀悼の意を表した人たちは、実際にボート事故の少年たちと関わりのあった、あるいは近い距離にあった人たちだったわけですから、(人によって濃淡はあれど)深い悲しみを背負っていたことでしょう。
レクイエムを歌うということは、その人たちと同じような心情を持つということです。
しかし同じような経験をした人は少ないと思います。そこで必要になるのが、擬似的な悲しみの呼び起こし。たとえば、自分の身近で起きた悲しい出来事や、ニュースや漫画などで見た悲しい出来事を思い出して、悲しみの感情を呼び起こします。
その呼び起こした感情を、想像力や知識でもって補完し、擬似的に彼らと同じ心情を持つように努めます。簡単にいえば、演じる、というわけです。
朗読や祈祷の要素を大切に
演じると言いましたが、オペラではないので、何かの役になり切って主観的に歌うというのは違います。歌詞の内容からしても、どこか客観性が必要です。
根底にあるのはオペラと同じ演技性であっても良い(というか引き出しはあったほうが良い)のですが、レクイエムとして仕上げるべく、感情表現は内向的にし、朗読や祈祷の精神を大切にして歌う必要がありましょう。
物理的には、ことばの輪郭を明瞭にし、声のトーンはなるべく一貫させます。テンポの揺らぎも抑えたほうが良いですね。それでもって、ことばの持つ深い意味合いを汲み、自分の思う内向的表現をしていくと良いと思います。
一番厄介な、唾液
実際に歌ってみると分かりますが、歌っていると唾液が口の中に溜まってきます(個人差あり)。
この唾液こそ、一番厄介かもしれません!
大勢で歌うときは、こっそり飲み込んでも良いでしょうが、ひとりで歌うときはそうもいきません。あらかじめ、食べ物などを控えて唾液の分泌を促さないようにしても、やはり出てくるものは出てくるのです。
ではどうしたら良いか。
それは、唾液を垂れ流しながら歌う、です。
いや、本番のステージではなかなかできることではありませんよ!ステージで歌うならば、休符やブレスを長めに取ったり、間奏などを挿入したりして、唾液を飲み込む時間を作る必要があります。
でもプライベートで歌うときは、可能ならば、出てくる唾液を我慢して溜めるなどはせず、溢れてきたらそのまま下に垂れ流してしまいましょう。ただ、服や床などが汚れるので、そこは要注意です。唾液を落とすための受け皿を用意しておくのも手ですね。
……とまあ、レクイエムだからといくら精神的なお話をしても、そういう現実的な問題が道を阻んでくるわけです。歌を歌うということは、そういう問題とも日々戦わなければならないということです。


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