お待ちしておりました!
今年は通常より1日早く、2月3日に立春を迎えました。暦のうえでは春だというのに、寒さは今が本番です。この時期を耐え抜きましょう!もう少しの辛抱です。
そこで今回は「かあさんの歌」。寒い中でも温かい気持ちになれる歌です。歌詞字幕に脱字がありますが、ご愛嬌ってことで。
しんみりしんみり。でもよく聞くと、ピアノの伴奏がけっこう洒落た音づかいになっているんですよね。気づかなかった方は再度再生してみてください!
では今回は、「かあさんの歌」について掘り下げていきましょう。
私と手紙
「かあさんの歌」をテキトーに歌うことはできてしまいますが、実はこの歌、〈私〉の自発的なことばと、〈手紙〉の引用とがあるのです。
歌詞
ひとまず歌詞を確認していきましょう。
かあさんは夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがしたかあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさびしい
せめてラジオ聞かせたいかあさんのあかぎれ痛い
生味噌をそりこむ
根雪もとけりゃもうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
懐かしさがしみとおる
1番は割と憶えていても、2番と3番を読んで「あら、こんな歌詞だったっけ?」と思った人もいるかと思います。
手紙のことば
上に書いた歌詞の中に、実家から届いた母からの〈手紙〉より引用している部分がありますが、さてどこでしょうか?
答えは下記です。
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ根雪もとけりゃもうすぐ春だで
畑が待ってるよ
以上です。正解できましたか?
下宿先で心細いときにこんな手紙がきたら、思わずウルッときてしまいますね。おまけに実家の匂いまで手袋や手紙に染み付いている。余計にホームシックをこじらせそうです。
逆に言えば、上記の部分以外は〈私〉が発していることばということになります。とはいえ〈手紙〉の部分も、実際口に出して引用しているのは〈私〉だと思われます。ただ、もしドラマでの演出では、〈私〉が口に出して読む以外に、そこに〈母〉の声を重ねたりすることもありそうな気がします。
歌詞の誤解や背景
では、歌詞についてもう少し詳しく見ていきます。
誤解で意味が変わる!
「かあさんの歌」には、歌詞を捉え間違えると意味が変わってしまうことばがあります。
×かあさんが
⇒1番の歌い出しです。些細な違いですがニュアンスが変わります。〈は〉は副助詞で〈が〉は格助詞という違いがありますが、〈は〉は英語でいう the の味で、〈が〉は a の味だとイメージするとわかりやすいかもしれません。上記⚪︎のほうだと、かあさんこそをクローズアップするニュアンスが出ると感じます。しかし、×のほうで歌われていたり、そのように出版されている楽譜があったりもします。
⇒夜まで仕事や作業をすること。夜食用の鍋づくりに由来するという説や、仕事が延びていること(夜延べ)に由来するという説があります。
⇒ これだとまさに “夜、鍋をして”という意味になってしまうでしょう。鍋をつくりながら手袋を編むなんて、器用なお母さまだこと。
⇒麻で作られた糸をつむぐこと。麻糸と書いて “まし” と読むこともありますね。
⇒朝に糸をつむぐこと。夜なべに対することばとして朝だと思ってしまうのは無理もないと思いますが誤りです。
どこの歌?どんな背景?
歌なんてものは歌い手や聴き手の抱くイメージに委ねられている部分もあるから、どこの歌だとかどんな状況だとか暴こうとするのは、半ば野暮な話ではあります。ただ、やはり気になるものは気になりますよね。
「かあさんの歌」の作者である窪田聡さんは、まだ小学3年生だった1944(昭和19)年に、父親の故郷である長野県上水内郡津和村の叔父宅に一家で疎開。そこで祖母が麻糸をつむぎ、叔父が藁打ち仕事をしていたそうです。この情景こそが、「かあさんの歌」の着想点。
その何年も後、窪田さんは、両親が自分を理解してくれないとのことで、早稲田大学合格後に家出のごとく下宿生活へ。しかしうたごえ運動に参加するようになり、職も転々。そんなとか、兄の力もあって、母から、好物や手編みのセーター、そしてビタミン剤や手紙までもが届くようになったそうです。この体験は、かつての疎開を思い出させたとのこと。
「かあさんの歌」は、上記の長野での体験と母からの小包の体験とが重なり合って生まれたものといえそうです。1956(昭和31)年の作品です。
ちなみに、歌詞内の〈手紙〉の部分では、方言らしきことばが使われています。が、窪田さんですらどこの方言のことばか定かでなく書いたそうですよ。
陶酔して歌うと白ける
こういうしんみりとした歌は、歌っているとどうも陶酔しがちになります(少なくとも私は)。ゆったりとしたテンポだから、余計に切なさの表現がオーバーになりがち。
しかしです。歌詞の世界に入り込むあまり、聴き手のことを忘れてしまったら、それは陶酔した歌唱となります。陶酔してしまうと、自分は心地良いかもしれませんが、聴き手は白けます。
いや、自分ひとりで好きに歌うときはそれでOK。だけど聴き手がいるなら、陶酔すべきは歌い手ではなくて聴き手。聴き手にきちんとことばを届け、音色を届ける。聞き取りやすい日本語や、理解しやすい音楽的イントネーションをつくることが重要です。
じゃあ具体的にどうやるのか。
それは人それぞれです。
が、「かあさんの歌」のポイントをひとつふたつ述べるならば、まず1番でいうと “いろり” の “いろ” 。つまり低音です。低音は聞き取りづらいので、聞き取りやすく歌うことを考えなければなりません。また、ゆったりした歌は、日本語のまとまりがなくなりがちなので、中継地点やゴール地点を歌う前から見定めて、ギクシャクしないように歌う必要がありましょう。


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