紀元節(髙﨑正風、伊澤修二)雲に聳ゆる髙千穗の…

唱歌・童謡

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2月11日は何の日?と聞かれたらあなたはどう答えますか?カレンダーを見ると〈建国記念の日〉と書いてあり、旗日となっています。しかし実は、〈紀元節〉と呼ばれていた時代もありました。

今回ご紹介する唱歌「紀元節」は、まさに2月11日の歌。厳かかつ雅やかなメロディーです。こんな歌です。

非常に難解な歌詞ですよね。今や教科書等には載っておらず、街中で聞かれることもなければ間近で知っている人もいない。私自身も元々は知らず、日本歌曲の権威たる藍川由美女史のCDを聴いて初めて知ったに過ぎません。

今回はこの「紀元節」について掘り下げていきましょう。

歌詞と解釈、びっくり解説

まずは難解な歌詞を先に見ていきます。すでに知っている方は飛ばしてくださいね。

歌詞と意訳

 

雲に聳ゆる髙千穗の
髙根おろしに、草も、木も
なびきふしけん大御世を
仰ぐ今日こそ樂しけれ

海原なせる埴安の
池のおもより猶ひろき
めぐみの波に浴みし世を
仰ぐ今日こそ樂しけれ

天津ひつぎの髙みくら
千代よろづよに動きなき
もとゐ定めしそのかみを
仰ぐ今日こそ樂しけれ

空にかがやく日のもとの
萬の國にたぐひなき
國のみはしらたてし世を
仰ぐ今日こそ樂しけれ
 

【解釈文(意訳:弥生歌月)】

雲までそびえる、日本神話で名高い高千穂。その峰から吹き下ろす風に、草も木もなびいて地面に伏したというこの偉大なる世を仰いで祝う今日にこそ、心が躍るものだ。

神武天皇のゆかりの地とされる、海原ほど広い埴安の池。その水面よりさらに広い恩恵の波を浴びているこの世を仰いで祝う今日にこそ、心が躍るものだ。

皇位が継承される天皇の玉座は、永遠に不動のもの。国の基盤を固める陛下を仰いで祝う今日にこそ、心が満たされるものだ。

空に輝く日のもとの国、日本。どの国よりも素晴らしい一国の大黒柱を打ち立てたこの世を仰いで祝う今日にこそ、心が満たされるものだ。

神武天皇と天照大神

いざ解釈文を書き下ろしてみても、やはりそう簡単なお話ではありませんね。

神武天皇(じんむてんのう)は日本で一番はじめの天皇で、紀元前711年に生まれ、紀元前585年に亡くなったといわれています。この日本を造ったとされる人物であり、天照大神の5代後の子孫にあたるのだとか。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は日本神話に登場する神で、太陽神ともいわれます。父がイザナギ、母はイザナミ。天照大御神と書くこともあります。

高千穂とはどんな場所?

今回の歌に出てくる高千穂(たかちほ)と呼ばれる場所には、天照大神が身を隠して闇が訪れたこと(岩戸隠れ)で有名な天岩戸という洞窟があるとされています。

また高千穂は、天照大神の孫で神武天皇の曾祖父にあたるニニギが、統治のために天界から人間界へと降りてきた場所ともいわれています。具体的には高千穂峰であるという説があります。

現在、高千穂は宮崎県西臼杵郡高千穂町を指し、高千穂峡や高千穂神社もあります。高千穂峡は、阿蘇山の噴火によってできたV字型の峡谷であり、日本の名勝、天然記念物です。

また、今人気の漫画・アニメ・ドラマの『推しの子』のプライベート編では、高千穂町が舞台として描かれています。日本神話と絡めたシナリオがとても興味深く、不思議な気持ちにさせてくれます(ショックを受ける描写もありますけどね)。

埴安って何?

歌の2番に出てくる埴安は、現在の奈良県の天香具山付近にあったとされる埴安池(はにやすのいけ)と考えられています。神武天皇が、戦いのときに天香久山(あまのかぐやま 天香具山とも)の埴土をこっそり採って八十平瓮(やそ びらか)を作り、神様を祀ったという伝説がある場所です。

ふたつある!?天香久山

奈良県橿原市の天香久山の麓には天岩戸神社があり、ご神体は天岩戸です。

……あれ?天岩戸って高千穂にもあるやつじゃん!先述の、天照大神が書かれて闇が訪れたというやつ。

あらびっくり!!

実は、天香久山(天香具山)って、奈良県だけでなく宮崎県の高千穂町にもあるのです。この両者の山は関連があるものと思われます。というのも、元々は天にあった山で、それが地上に降りてきたという伝話があるからです。

奈良県の天香久山のマップ

宮崎県の天香具山のマップ

高千穂にも天岩戸神社がありますね。天照大神の天岩戸の話がややこしい原因はここにあると思います。

しかし天香久山が元々天界にあったとすれば、この地上にある天香久山は単なる映し姿にすぎません。論争はあると思いますが、どちらが正しいと決めつけるのはナンセンスかと思います。

紀元節と建国記念の日

初代天皇の神武天皇が即位した日が紀元前611年2月11日(旧暦だと1月1日)なので、1873(明治6)年に2月11日が紀元節とされました。

1948(昭和23)年に〈国民の祝日に関する法律〉に公布・施行され紀元節が廃止となり、1966(昭和41)年に、佐藤栄作内閣のもと、政令で建国記念の日として定められました。よく建国記念日とも呼ばれますが、正しくは “の” が入ります。

祝日大祭日唱歌

唱歌「紀元節」は、1888(明治21)年に発表され、その5年後に文部省に祝日大祭日唱歌として定められ、官報にて『祝日大祭日歌詞竝樂譜』(しゅくじつたいさいじつかしならびにがくふ)に掲載されました。

小学唱歌、中等唱歌として

「紀元節」 は、1889(明治22)年の『中等唱歌集』や1892(明治25)年の『小学唱歌』第一巻(編:伊澤修二)などにも掲載されたのです。中学生ならともかく、小学生は意味をどこまで理解して歌っていたのでしょうか。

祝日大祭日歌詞竝樂譜

1893(明治26)年に官報に掲載された『祝日大祭日歌詞竝樂譜』には、次の8曲が収められています。

  • 君が代
  • 勅語奉答
  • 一月一日
  • 元始祭
  • 紀元節
  • 神甞祭
  • 天長節
  • 新甞祭

「君が代」「勅語奉答」は特にどの祝祭日というわけではなかったようですが、「一月一日」は元日、「原始祭」は1月3日、今回の「紀元節」は神武天皇即位日の2月11日、「神甞祭」は10月17日、「天長節」は天皇誕生日、「新甞祭」は今では勤労感謝の日にあたる11月23日です。

今は歌われない「紀元節」

「一月一日」は、これもあまり知られていませんが、年末や正月にはスーパーなどで流れていたりします。年末の『紅白歌合戦』のフィナーレでも少しだけメロディーが使われていたりします。

「紀元節」は今ではほとんど歌われも聞かれもしませんが、戦前には2月11日に歌われていたそうです。私は、冒頭に書いたとおり、日本歌曲の権威たる藍川由美女史のCDを通して知りました。初めて聴いたとき、なんて雅やかな歌なのだろうと思いました。

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