お待ちしておりました!
晩秋になると歌いたくなる歌のひとつに「秋桜」があります。さだまさしさんが、山口百恵さんのために作詞作曲を手がけた作品です。
まずは、私が歌ったものをお聴きいただけたらと思います。未婚の発達障害男が一生懸命状況を想像して歌いましたので!
結婚で嫁ぐ娘が母のことを想っている、といった内容です。結婚経験がなくてもジーンときます(実際レコーディング中に泣いてしまいNGになったりも)。
今回はこの歌について、私なりの切り口からあれこれ語っていきたい思います。何かしらヒントを見つけ出してくだされば幸いです。
母を想う娘の歌
先ほど書いたように、これはお嫁に出る娘が母のことを想っている歌です。
昔は今よりも結婚が遠い旅路
今となっては、結婚して嫁いでも、親との交流はインターネットを介して簡単にできます。しかし昭和時代には、当然そんなことができなかったでしょう。
当時、結婚するということは、「実家とは疎遠になる」ということを意味していたようです。連絡はそんなに取れないし、よほどのことがあるまで帰れない。離婚に対するハードルもかなり高かった。
現代よりも結婚への覚悟が必要だったと思います。色々しがらみも強かったでしょうしね。そりゃ、今でも子供をお相手の家に送り出すのは、親としては幸福と悲壮の絡み合いの気持ちが生じるものと思いますが、昭和の頃はより強かったものと想像します。
秋桜は元々「コスモス」ではなく「あきざくら」
コスモスは外来種であり、秋桜(アキザクラ)とは異なります。そのため「秋桜」の読みは本来「あきざくら」であって、これが和名です。
「秋桜」の「コスモス」読みはこの歌から!?
しかし さださんは、歌詞の「秋桜」を「コスモス」と読み、これをプロデューサーにも注目され、タイトルも、「小春日和」から「秋桜(コスモス)」になったそうです。
秋桜を「コスモス」と読むのは、この歌で始まり、その後定着していったそうですね。今となっては漢字クイズでも当たり前に「コスモス」と読ませてくるほど市民権を獲得しています。この歌の影響の大きさがうかがえます。
秋桜もコスモスも、秋の季語
ちなみに、秋桜もコスモスも、秋の季語です。ゆらゆらと哀愁の漂う感じが、歌詞の内容に合っていますね。でも、可憐でありながらも、実は雨風に強い花なんだそうですよ。
悲壮感の秘密
この歌には悲壮感があります。仮に歌詞がなかったとしても、強い切なさを感じることでしょう。
では、なぜ悲壮感を覚えるのでしょうか?
少し専門用語が出てきますが、簡単に見解をお伝えしたいと思います。
語りのメロディー
まずメロディーの特徴ですが、全体的に語り口調となっています。普段話すときのように、抑揚はそこまで大きくなく、音も細かい。仮にピアノだけでメロディーを弾いても、まるでピアノがささやいているかのように聞こえます。
悲しみの音程、短6度
しかし “此頃涙脆く…” のところで見られるように、感情が少し昂るところで短6度(悲しみの音程といわれます)の跳躍をし、そのまま少し高い音域で歌われます。
感情の昂り、1オクターブ
そしてまた落ち着き、 “縁側で” のところから同様のパターンで進みますが、今度は感情が抑えきれなくなり、1オクターブの大胆な跳躍をしてサビに入ります。
サビでは音がやや大きい粒となり、感情が溢れています。実はここでも悲しみの短6度が出てきます。で、歌い終わりのところでは感情が落ち着いて、また語るような感じになります。
このように、普段私たちが泣くときの感情の動きとシンクロするかのようなメロディーとなっています。
シンプルなコード進行
「秋桜」は短調ですが、ところどころふと明るくなる音が入っています。
たとえば冒頭部分のごく単純なコード進行は、F minor(ヘ短調)の場合、
Fm → B♭m → E♭ → A♭→ …
というように、マイナーのあとに早速メジャーが出てきていますね。で、ファ→シ→ミ→ラ と、ヘ長調の主音から4度上がって5度下がって4度上がってというジグザグを描きながら全体的に下がります。
実はこれ、歌謡曲でよくあるコード進行です。言いかえると聴き馴染みがあり、変なハーモニーには聞こえません。素直に心に染み込んできます。
冒頭のみならず全体的にも、実にシンプルな作りとなっているように思います。それがかえって功を奏しているかもしれませんね。
未婚者は「秋桜」を歌えない?
結婚して相手の家に嫁ぐ女性や婿入りする男性、あるいは、自分の子を送り出した経験のある方なら、比較的イメージを作りやすく、感情も込めやすいと思います。
問題は、未婚者が歌う場合。つまり結婚していない(なんなら相手すらいない)人が歌う場合です。私のように。
どう感情を込めれば良いのでしょうか?
歌え!
先に結論を言いますと、未婚者でもこの歌を歌い上げることは可能です。ぶっちゃけ感情が込められなくても大丈夫です。というか、もし歌う場面があったら歌ってください。むしろ歌えなければなりません。
知恵と知能と想像力を総動員!
極端な話をすると、仮にドラマや演劇で凶悪犯の役を演じることがあったら、役を研究し、知恵と知能を使って理解に努めますよね。そして想像力を総動員し、いまだかつて使われずに眠っている感情を目覚めさせ、役をつくり上げていきます。
それと同じようなことを歌でもやります。
私たちは人間です。しかも今の時代、色々な知識をネットからも得ることができます。未経験のことでも想像できるような環境がそろっています。
さらに語弊を恐れずに言うと、仮に感情があまり乗っていなくても、歌声や物理的な表現だけでそこそこ良い雰囲気にはなります。むしろ過剰な感情表現は歌を損なうことさえあるので、それに比べたらまだ無感情のほうがマシだと私は思います。
擬似体験でインスピレーションを!
もちろん、実体験をとおしてつくり上げた歌がベストなのは言うまでもありません。が、それができなくても、擬似体験からインスピレーションを得ることもできます。
ここからは私のエピソードですがお付き合いください。
以前、わが家の愛車が、老朽化により廃車になりました。私が子どもの頃から乗っていた車でした。買い物、通塾、愛犬を連れての小旅行など、いろんな思い出のある車でした。
しかし別れは必ずやってきます。愛車の調子が悪くなり、もう替え時だということで新車の検討に入りました。その時、偶然愛車の中で聴いていたCDに、「秋桜」を和楽器版に編曲したものが入っていました。
それが私の初めての「秋桜」との〈本格的な〉出会いでした。
そのときの「秋桜」のメロディーは、愛車との別れを惜しむ私の心と共鳴しました。愛車が歌っているようにも聞こえました。その後歌詞を知ってからも、なんだか愛車との別れのように感じて、まるで歌の中の母の気持ちになったような気分でした。
その車は、お嫁かお婿か知らないけど、家を出ました。もしかしたらあちらの世界へ旅立っていったかもしれません。とても辛い別れでした。


コメント