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桜が咲き誇り、そろそろ散る頃になりました。そんな中、私は少々風邪を引いてしまったようで、鼻から喉のところがイガイガシャーシャーし、鼻水ダラダラ。寒暖差のせいですかね!?というかまだ寒い(←え、悪寒!?)。
今回は、中田喜直さんの「さくら横ちょう」について取り上げたいと思います。まずは私が歌ったものを掲載します。男声の音域ですが、ストレートな発声はせず、ファルセットを用いて儚さを表現しました。
女性(特にソプラノ)が歌うことが多いので、男性の方にももっと歌ってほしいなあと思っています。
では、早速この歌曲について掘り下げていきましょう!
一体何を歌っている?歌詞の解釈そして背景
まず、「さくら横ちょう」の歌詞を読むと、ハッキリ言って、何を歌っているのか分かりにくいです。春霞のように、輪郭のハッキリしない歌詞。恋の歌かな?という気はするのですけどね。
そこでまず、歌詞の解釈からしていきましょう。
歌詞の解釈文
以下には、私なりの解釈文のみ掲載します。歌詞は冒頭の動画でご確認ください。
【解釈文(意訳:弥生歌月)】
春の宵、さくらが咲くと、その花だけで彩られるさくら横ちょう。想い出す、わが恋を昨日のことのように。そして君はもうここにいない、と気づかされる。
ああ、いつ見てもあの子は花の女王だった。彼女がほほえんだ、夢みたいな故郷だった。
春の宵、さくらが咲くと、その花だけで彩られるさくら横ちょう。
再会できる時はないだろう。
「その後、どうだった?」
「久しぶりだねえ」
とひとりでつぶやいても何も始まらないと悟って、花でも見よう。
春の宵、さくらが咲くと、その花だけで彩られるさくら横ちょう。
恋の実話!?花の女王は誰?
なんとこの歌、作詞者の加藤周一さんの恋の実体験に基づいているようです。
歌詞に “花の女王” と出てきますが、結論から言うと、彼が小学時代に好きだった女の子のことみたいです。彼の伝記『羊の歌』の中の情報によると、
- 大柄
- 華やか
- かぎりなく美しい
- 女王のように崇拝者をあつめている
といった女の子だったようで、加藤さんはそんな彼女と2人きりになりたかったのだとか。おそらく歌では、凛とした桜の木に、その女の子の姿を見ているようにも私は思います。
さくら横ちょうは、桜横丁ではなく桜横町!?
また、タイトルにもなっている “さくら横ちょう” というのは、漢字にすると〈桜横丁〉ではなく〈桜横町〉となるようです。
作詞者の加藤さんが通っていた小学校、そう、”女王” がいた小学校のそばに、桜横町という道があったとのこと。桜通りともいったそうですが、愛知県名古屋市にある桜通とは関係なく、場所は東京都渋谷区。「さくら横ちょう」の歌碑もあります。
加藤さんの伝記『羊の歌』によると、桜横町には、両側に桜の木が植えてあり、住宅や文房具屋などの商店もあったそうです。桜の木は、のちの戦争により焼失してしまったみたいです。
歌詞に見られるこだわり
「さくら横ちょう」は、1962(昭和37)年に中田喜直さんにより発表された『マチネ・ポエティクによる四つの歌曲』の第2曲に当たります。
マチネ・ポエティクとは、1942(昭和17)年頃に始まった、定型押韻詩を試みるための文学運動です。この運動のメンバーのひとりが、今回の「さくら横ちょう」の作詞者である加藤周一さんでした。「さくら横ちょう」の歌詞にも、その運動が表れています。
押韻(脚韻)について
歌詞の最大の特徴は、徹底的に韻(いん)を踏んでいることです。韻を踏むことを押韻(おういん)といい、押韻とは、同じような母音や響きを、一定の箇所に用いてそろえることを指します。
押韻には、頭の母音をそろえる頭韻(とういん)と、お尻の母音をそろえる脚韻(きゃくいん)があります(←尻韻ではない)。
では「さくら横ちょう」の歌詞の一部を引用します。
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
想出す 戀の昨日
君はもうこゝにゐないと
脚韻が見られます。各行の最後の母音に着目すると、実質的にすべて[オ]の発音で終わっています。「さくら横ちょう」は、最後までその調子で書かれています。
ところで、脚韻を踏むのはラッパーが得意とするワザですよね。ためしにChatGPTに頼んで、税金ネタでラップを披露してもらいました。下記に記します。ご笑覧あれ!
Yo yo!オレの財布はスカスカBrosなのに来るぜ納税のNotice!
稼いでも減るのはAlways
どこ行く金?役所でStay?「消費税です」って言われりゃ苦笑パン買って10%って、重症…
高級車より高い米の値札
庶民の暮らしはマジで手札!住民税、所得税、年金に健康保険!オレの給料まるで処刑宣言
手取り見たら叫ぶぜ「えぐっ」
ラーメンも今じゃ高級フード!なのに国会では昼寝のTime?
あれが政治?冗談じゃない!
国の未来より利権が好き?
まずはレジ前のワイの危機!
笑ってる場合じゃないですよ!笑
ロンデル形式と五七調
「さくら横ちょう」には、とってつけたように、
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
という句が出てきます。
これには理由があって、実はフランスのロンデル形式に従った構造の詩になっているためです。
春の宵 さくらが咲くと ⇒ A
花ばかり さくら横ちょう ⇒ B
とすると、曲全体は、
ABba
abAB
abbaA (B)
という構造になっています。AはAで互いに同じ句、Bも互いに同じ句。小文字の a は互いに異なる句で、b も互いに異なる句ですが、aはAとの脚韻、bはBとの脚韻を踏んでいます。そこで「さくら横ちょう」の各句の最後の仮名だけ並べると、
とううと
うととう
うととうとう
となります。赤字のところはaとbが入れ替わっていますが、母音の響きとしては[オ]なので実質同じようなものです。ロンデル形式に近い形です。
またロンデル形式は、フランス語の場合、AならAで8つの音節となり、Bについても8つの音節ですし、aとbについてもそれぞれ8つの音節となります。
しかし「さくら横ちょう」は日本語。フランス語と同じようにはいきません。日本古来の五七調が意識されており、たとえば、
春の宵 さくらが咲くと ⇒ A
花ばかり さくら横ちょう ⇒ B
を見てみると、Aは5+7、Bも5+7となっています。フランス語のように8音節とはせず、それぞれ5+7の12音節となっています。
完全なロンデル形式とは言えないものの、そういった定型を取り入れた努力が見られます。日本版ロンデル形式と呼べそうですね。これもマチネ・ポエティクという文学運動のひとつと見ることができるでしょう。
“さくらが咲くと” の語感
私が好きなだけかもしれませんが、”さくらが咲くと” の語感も絶妙です。
“[さく] らが [さく] と” というように、[さく] の押韻が見られます。偶然か故意かは分かりませんが、たとえ偶然だとしても、とても気持ち良く感じる語感です。
とはいえ、さくらという言葉の語源の説のひとつには〈咲く+ら〉といったものがあるくらいです。昔から[さく]は自然と意識されてきているはずです。
雰囲気を壊さない歌い方
歌詞について細かいことを書きましたが、やはり歌い方が重要です。特に発声については、間違えるとこの歌の良さが台無しになってしまいます。
内面的な発声で!しかし…
すごくあいまいな言い方ですが、この歌は内面的な発声で歌うべきだと私は考えます。
感情をオープンにしてストレートな声の出し方をするよりも、感情を押し殺すかのようにして、自分の中のもうひとりの自分を見るかのようにして、頭声やファルセットを多用して柔らかく歌うことが大切だと思います。
ただ、柔らかくといえど、声の支えとなる核は必要です。それが無いと、単なるフニャッとした声になり、この音楽特有の靄に飲み込まれてしまうでしょう。
この歌を歌ったときの印象は、発声こそが大きな要素を占めることでしょう。リリックなソプラノやカウンターテナーが歌うと合うと思いますが、テノールやバリトン、はたまたバスであっても、工夫次第で繊細な表現は可能です。
鉤括弧から歌舞伎へ
この歌の中でひときわ印象的なのは、
「その後どう」「しばらくねぇ」
から、
心得て 花でも見よう
の部分。一人芝居が始まったかと思いきや、歌舞伎のように見得を切り、何が起こるのかと思わせてから、悲しみの こぶしを聴かせにきます。
ここは、歌うほうもこだわりを持って歌いたいものですね。 特にこぶしでは、譜面上の約束事を守るだけでなく、なぜこういう書き方になっているのかを考えることも必要ですね。こぶしの最後だけ2音間にスラーがあるのも意味ありげですね。
譜面からそのフレーズの意味合いを汲み取ることで、歌の表現も大きく様変わりします。
くどくなくたんたんと
ピアノ伴奏にはアルペッジョ(分散和音)が多用されており、音楽の輪郭がぼやけていて、花びらが舞うかのような雰囲気があります。
その妖艶さといいますか幽玄さといいますか、何かを表現しすぎようとすると、ついくどい歌い方になりがちです。具体的には、テンポが遅くなったり、大げさなスラーをつけてしまったり、緩急がつきすぎたり、声の変化がバラエティーに富みすぎてしまいます。
それもひとつの実験としてはアリかもしれませんが、私が思うに、全体的にたんたんと歌い、一人芝居と歌舞伎のところのみを際立たせたいものです。とはいえ、それも譜面上の約束事を守るだけでも叶います。余計な事はしないようにして、流れる伴奏に身を寄せて歌っていくと良いのではないでしょうか。


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