鐘が鳴ります(北原白秋、山田耕筰)

歌曲

お待ちしておりました!

慌ただしい12月はあっという間に時間が経過し、今年も早くも終わり。これもまた風情ですね。

今回は、年の暮れになんとなく合いそうな歌曲です。「鐘が鳴ります」という歌ですが、声楽経験者ならご存じかと思います。

この歌は声楽初学者向けと設定されることがありますが、正直、深い表現をするのがかなり難しいです。私も安定したパフォーマンスができないくらい、声を繊細に使う必要があります。。。

というわけで、今回は「鐘が鳴ります」について、まずは歌詞から掘り下げていくことにしましょう。

歌詞と解釈

「鐘が鳴ります」は、北原白秋が1922(大正11)年に著した『日本の笛』の中のひとつで、山田耕筰が1923(大正12)年に作曲しました。

歌詞

鐘が
鳴ります
かやの木山に
 
山は
寒空
遠茜
 
一つ星さへ
ちらつくものを
 
なぜに
ちらりとも
出て見えぬ

意味と解釈

真っ先に触れておきたいのは、”鐘が鳴ります” について。これは、現代語で言う〈鳴ります〉とは意味が少し異なります。

〈ます〉は、現代語では丁寧さを表す助動詞です。しかし古語などの古い用法では、尊敬の補助動詞。そのため〈鳴ります〉を直訳すると〈お鳴りになる〉となります。とはいえ大正時代の歌詞なので、現代の助動詞的な役割に移行しつつある過渡期だったかもしれません。なので〈尊く鳴っています〉という感じに訳すと良いかもしれません。

昔は、お寺の鐘が時報の役割をしていました。今回の歌でも鳴っています。前奏のズーンの音が鐘の音を模した音です。

次に〈遠茜〉という言葉。これは造語のような感じがしますが、遠くの空が茜色に染まっている様子を表します。早朝か夕方の景色ですが、次の〈ひとつ星〉の存在からして夕方かと思います。

〈一つ星〉は、夕方に一番よく輝いて見えるひとつの星(金星など)を指します。あるいは北極星かもしれません。ただそんな細かい意味よりも大切なのは、なぜひとつ星を引き合いに出しているのかです。これについては後述します。

〈〜ものを〉は、〈〜なのに〉という意味です。そのため〈ちらつくものを〉は〈ちらつくのに〉〈ちらつくけれども〉と訳します。したがって歌詞後半は、〈ひとつ星〉がちらつくのに意中の人はちらりとも姿を見せないといった内容になります。

あの人を待つ、恋の歌

「鐘が鳴ります」はいかにも日本的です。意中の人が登場せず、そもそも代名詞としてすら登場していません。なのに、最後の最後に、あぁ恋の歌なんだなと思わせる描き方をしています。もちろんそうではない捉え方も可能ですが、芸術作品になるほどなので、よほどの濃い感情があるのは間違いないでしょう。

そこでポイントは、先述した〈ひとつ星〉の存在。これは意中の人が姿を見せないことを引き立てるための表現といえそうです。暗がりの中でキラーンと出てきた星。きっと意中の人も、その星に匹敵する程(あるいはそれ以上)の輝きを持った素敵な人なのでしょう。なのに現れない……。

そりゃがっかりですよね。寒い中、しかも遠茜。なんとも切ない情景です。鐘の音を聞いて「もうすぐ現れるぞ!」と胸が高鳴り、あと少しで暖かい気持ちになりそう。なのに……。

身に沁みるような冷たい風が肌に刺さってきそうです。しかしその痛さも感じないほどに呆然と立ち尽くしている人物が、シルエットとなって浮かんできます。

でも、このブログの読者の中にも、似たような経験を持つ人もいらっしゃると思います。好きな人が現れるかも!?とタイミングを狙うも、その日は偶然早く帰ってしまったとか、狙い始めてからなぜか全く見なくなってしまったとか。。。

(まあ私なら、仮に見ることができても、何もできない……というか見れるだけで幸せかも。眼福ってやつです。)

「鐘が鳴ります」はごく短い歌ですが、感情は深く、思い出とリンクして想像がどこまでも広がっていくような気がします。

理想的な歌い方と、そのコツ

さて問題は、この繊細な歌をどのように歌うか?です。山田耕筰の作品は音楽的な指示が細かく書いてありますが、それを忠実に守ることはまず大前提としてあります。

その上で、どう息を使って、どう節を回して、どう感情を乗せるかというのを考えることが重要になってきます。いくら発声スキルがあっても、ただ上手に歌うだけではこの歌の良さは全く生きてきません。だから冒頭で “かなり難しい” と書いたのです。

ベルカントや声楽の常識を一旦捨てる

声楽初学者が歌うときは、発声の変な癖を避けるべく、王道なベルカントの発声や当たり障りのない歌い方を要求されがちです。音大入試などではそれで良いかと思います(試験官にはベルカント主義者が多いと思われるので)。

しかしそれだと、この作品の真の良さには到達できません。

日本民謡らしさを醸し出すためには、一旦、ベルカントや声楽の常識を捨てなければなりません。美しい声、統一された響き、レガート唱法、浮かせたようなポルタメントなど、そういうのはこの歌では逆ノイズです。

あえて誤解を恐れず言うなら、多少の汚い声、響きの多彩性、ノンレガートのみならずぶっきらぼうな節回し、ずり上げずり下げ、演歌ビブラートなど、そういったものの要素を取り入れても問題ないし、あえてそれを強く意識して練習するのは効果的です。

ただ、やりすぎると下品になるし、繊細さが失われます。日本的妙味を作り出したり感情表現のひとつとして味付けをしたりするのが理想だと思うので、最終的には整えていく必要はあるでしょう。

醍醐味は装飾音

この歌では、

  • “きやまに” に “や”
  • “さむぞら” の “ら”
  • “とおあかね” の “が”
  • “ひとつぼしさへ” の “さ”
  • “ちらりとも” の “と”

以上の箇所で装飾音(短後打音)が見られます。

通常の音符から短後打音に移るときは、ずり下げて歌うと味わいが深まります。重心を浮かすのではなく、膝を軽く曲げて重心を落とす感覚です。

そして、短後打音から次の通常の音符に移るときは、言い直して歌います。”や” → “ま” のように明らかに発音が変わるなら問題ないですが、たとえば “さむぞら” の “ら” は、それだけで音が移っていきます。その場合、”らーあーぁ, あー” というように、コンマを入れた位置で言い直します。すると民謡らしさが醸し出されます。

楽譜の校訂によっては、通常の音符から短後打音にスラーがついており、短後打音から次の通常の音符にはスラーがありません。上記の歌い方は、その校訂を解釈したうえでの理屈です。

そういう細かい点も見逃さずに練習に励むことが演奏者には求められるでしょう。声楽初学者にも是非そう努めていただきたいですが、そこまで解釈して実現に移すのは、やはり簡単なことではありません。

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