お待ちしておりました!
今回は私自身の話です。自閉スペクトラム症(ASD)を持つ私が、声楽レッスンでどのような困難に直面し、どう乗り越えてきたかをお話しします。同じように音楽の道を志すASD当事者や、指導者、家族の方にとってヒントになれば嬉しいです
はじめに──声楽と自閉スペクトラム症の交差点で
私は、発達障害のひとつである自閉スペクトラム症(ASD)を持った人間です。診断を受けたのは、音大卒業後だいぶ年月が経った後でした。しかし、このASDは生まれつきのものなので、私が音大に通っていた頃には持っていたということになります。
本ブログでは、過去にも音大での苦労話は述べています。が、やはり音楽の世界というのは、ASDにとって理解しにくい感覚論が多いものです。私は声楽専攻だったのですが、特に声楽というのは、ノドだの声帯だの、目に見えない話が多く、自分勝手に解釈してしまって勘違いをしたものです。
そこで今回は、そういった声楽のレッスンで苦労したことや工夫したことを述べ、読者にとって少しでもヒントになれば幸いに思います。また、実際は体験していないものの、これは書いておこうと思った内容についても書いていきたいと思います。
ASDは障害とされていますが、そうだからといって声楽の道をあきらめる必要はありません。むしろ有利に働くこともありますから、自信を持って読んでいただければ幸いです。
私が戸惑い、抵抗感を覚えたレッスン
まずはネガティブな面からお伝えしましょう。読んでいてつらくなった方は、遠慮なく離脱してくださいね。
「腹で支えて」という指導
声楽のレッスンでは、よく「腹で支えて」といった指導があります。私もよく言われました。しかし、言われるたびに、
「腹で支えるって、いったいどういうこと?」
「腹で何を支えるの?腹のどこでどう支えるの?」
「なぜ支えると良いの?」
といった思いがグルグルと頭の中をめぐりました。そこで、おそるおそる先生にこう質問したこともあります。
「腹で支えるとは、どういうことでしょうか?」
すると先生は、こちらに向かって歩いてきて、私の手をパッとつかみ、そのまま先生の横っ腹にあてられました。そして先生は実際に発声してみせて、「こういうことだよ」と言いました。またあるときには、「ここ(眉間のあたり)とここ(腹のあたり)がつながっている状態」と言われました。
ところが、当時の私には何のことかさっぱり分かりませんでした。腹のあたりが動いていることは感じました。また、眉間のあたりと腹のあたりがつながると良いらしいという情報は得ることができました。しかし、当時の私は、本質を理解するに及びませんでした。
「腹式呼吸で」という指導
上の話ともつながりますが、腹式呼吸を意識しなさいという指導もありました。
しかし、私は腹式呼吸がどういうものか、正しく理解していませんでした。「呼吸は肺でするものだろう。腹で呼吸するってどういうことなのか」と思いつつ、自分なりに腹を凹ませたり膨らませたりしました。さらに、「腹のあたりに力を込めることが、腹式呼吸であり、腹で支えるということなのだろう」と、勝手に自己解決していました(当然、それは正しい発声法ではありません)。
ASDの人の多くは、モノの見方が世間一般と異なっていたりして、その結果、独自に解釈してしまうことがあります。しかしその解釈は本人にとって自然な思考であり、非難されるべきものではありません。ただ、世間一般とは異なる。それだけです。
とはいえ、結果的に私は誤解していました。結局自分で色々調べるうちにどういうことか理解できていきました。
からだに触ってくる指導
私は、他者に触られることに敏感です。先ほど、先生が私の手をつかんで先生の腹に持っていかれた話をしましたが、実はそれも苦手でした。「あっ、やめて!」という気持ちが先走り、先生の腹の使い方を感じるどころではありませんでした。
声楽に限らず、音楽の実技レッスンでは、往々にして、先生が生徒のからだを触ることがあります。手、指、肩、背中、腰、腹、頭、そして時には顔まで…。さすがに腿(もも)とかは無いと思いたいですが、中にはそこまで触る先生もいるかもしれません。
指導上、生徒のからだを触ることは一定の効果はあると思いますが、必ず許可は必要だと思います。これは発達障害者を対象にするときに限らず、誰を対象にするときにも言えることでしょう。私も私で、当時「他者に触れられることに抵抗があるので…」と言えたら良かったと思います。
イメージ論ばかりの指導
声楽レッスンをはじめ、音楽の世界ではイメージ論がとても多いです。イメージは重要ですし、それが手助けになって理解が深まったり表現が豊かになったりもします。
ただ、イメージだけでは齟齬が生まれてしまう。たとえば、「細く高く明るい響きの声で」と言われても、先生の頭の中で描いている声と私の想像する声とでは、そのイメージにズレがあるはずです。「細く高く明るい響き」を自分勝手に解釈し、実際に声帯を傷めてしまったことも私はあります。ほかの先生に「なんか発声が変になってない?」と言われたりしました。当時の録音を聴いてみると、首を絞められたアヒルのような声で歌っていたと分かり、ショックを受けます。
そういう経験から、イメージ論を聞いたときには、先生の言うイメージについてよく考えるようになりました。でも、たしかな答えが見つからず、いつも悶々としていました。いろんな人に「どういう意味だろう」と尋ねても、結局イメージ論で返されるばかりでした。
「考えるな、感じろ」という名言があります。たしかにそれはそうなんだけれども、独自の視点を強く持つ人にとっては、かえって間違った方向へ進んで行ってしまう危険性を孕んでいるように思います。
日によって変わる指導
声楽に限らず、音楽にはコレといった答えがないことが多いです。作品の表現に合わせて臨機応変にテクニックを駆使したり、その日のコンディションや環境などによっても発声法や奏法を微妙に変えたりするものです。
だからレッスンでも、日によって先生の言うことが違うことがあります。「あれ?この前は◯◯と言っていたのに、今日は△△と言っている!いったいどっちが正しいの?」と、何度思ったことでしょう。
また、実際に先生の気分次第で、言うことが少し変わることもあります。さらに、同じ事柄であっても、別の先生だと真逆のことを言ったりすることもあります。でもどれも間違いではなく、そのときどきにおける視点の違いだったりします。それに人間は常に一定ではなく、不安定な生き物ですし。
ASDを持っていると、そういった変化が苦痛に感じたりします。いや、健常者であっても抵抗感はあるはずです。ただ、ASDの人の場合、情報の取捨選択や整理がうまくいかず、ただただ混乱してしまうケースが多いかもしれません。
先生の趣味を押しつける指導
いろいろ書いてきましたが、先生の悪口のオンパレードみたいになってしまっていますね!もう少しお付き合いください。
レッスンでは、先生の趣味の曲を学ばせる指導が横行しているだろうという話です。生徒視点で言うと、興味のない曲の練習をしなければならないことが多い!ということです。
当たり前です。プロの世界は甘くない。興味のあるなしも大事だが、見識の広さやノウハウの柔軟性はかなり大切な要素となります。それに、興味のない曲に取り組むことで、生徒の潜在力が拡がる可能性もあります。
興味のある曲は勝手に練習できますが、興味のない曲はレッスンという場でないとなかなか取り組まないもの。そういう機会を与えてもらうことは有難いのですが、「なぜ取り組むのか?」という説明があったら良かったなあとは思いますね。
特にASDの人は、興味の対象が限定的であったり白黒ハッキリしていたりするため、なおのこと興味のない曲は敬遠しがちです。興味のない曲に取り組むには、それなりの動機がないと難しい面があります。
あまりに先生の趣味を押し付けられると、先生への苦手意識が芽生えます。生徒の興味のある分野を伸ばしつつ、そうでない分野にも触れていく。そのバランスをとることが指導上大切だと思います。私も声楽指導しているので、そこは強く意識しています。
感情的に怒る指導
私はこれまで何人かの先生に習ってきましたが、いつもは優しいのに急に厳しくなる先生や、ヒステリックになる先生、そして人格否定ともいえることを言ってくる先生もいました。
ある先生は、私が期待どおりに歌わないと、裏返った大きな声で「ストップ!あなたの声、こもっちゃってるじゃーん!」と言いました。またある先生は、ウォーキングに燃えていた私に「そんなことするくらいなら練習してよw」と言いました。そしてまた別の先生は、いつものレッスンでは穏やかなのに、朝にあったリハーサルで「何のために私が朝早く来たと思っているんだ!」と怒りました(その日は寒く、しかも私は朝が苦手でうまく感情が乗らなかったのです)。
私は何度も凹みました。否定されたとか、嫌われたとか思ってしまい、悶々としました。尊厳を軽んじられたとも感じました。
厳しい世界なので、厳しい言葉は別に言われて構いません。ただ、声を荒らげたり、感情に任せて怒ったり、価値観を強要したりするのは良くないと思いますね。
ASDの人の中には、独特な視点を持つことから、子供の頃にいじめられたり叱られたりした人も多いと思います。事あるごとにフラッシュバックをしてしまう人もいます。指導者は、そういう人間も世の中にはいることをあらかじめ認識したうえで、ハラスメントに十分気をつけるべきです。
私がレッスンで工夫したことや意識したこと
ここからはポジティブな話をしていきます。レッスンでは嫌なこともたくさんありましたが、あれやこれやと工夫しながらやり過ごし、また、自分の持っている能力を活かしながら取り組んできたので、ご紹介していきます。
とにかく勉強
レッスンではイメージ論が多かったため、自分勝手に解釈をし、間違った方法を習得してしまうこともありました。いつまでも理想の声に近づけないことを自覚した私は、だんだん本に頼るようになりました。そしてASDなりのこだわりの強さを発揮!というわけです。
呼吸や発声に関する本、作品に関する本、音声生理学の本などをよく読みました。イメージ論でしか知らなかったことを理論的に噛み砕いて説明する本もあり、そういうのを読んでストンと腑に落ちたものです。
たとえば、「腹で支える」ということについて、声楽におけるからだの使い方の本を読むことで、どんなことかイメージをつかみやすくなりました。
もちろん、腑に落ちたからといって、いきなり上達することはあり得ませんし、一度で消化できるほど簡単なものでありませんでした。レッスンでイメージ論を得て、本で理論を得る。年月をかけてそれを何度も繰り返すことによって、少しずつ上達を実感することができました。理論を知ることで、イメージ論が強い味方に様変わりしたこともありました。点と点がつながり、相乗効果ももたらしてくれました。
私は音大では勉強好きでマジメと思われていましたが、勉強したからこそ上達できました。たとえASDでなくても、勉強することは大切なことです。他者に何と言われようとも、自分の納得いく生活を送りたいものですね。
※ただ、勉強することの副作用として、肩が凝るとか姿勢が悪くなるとかがあります。また、先生のほうが誤解しており、本に書いてある内容と齟齬があったりすることも。あまり本気になりすぎると先生とバトルすることになりますから、そこはうまくやり過ごすしかありません。
必ずメモをとり、復習する
ASDの人に限りませんが、レッスンで先生から聞いたことは、たとえそのとき意味が分からなくても、とにかくメモをしておくことが大切です。
私も、聞きながら速記するのはそこまで得意ではありませんが、記号のようになってもいいのでパパッと書くことに努めました。
また、ノートに書いても後で絶対に読まないので、楽譜に直接書くようにしていました。楽譜に直接書くのが忍びないときは、楽譜のコピーなどを用いました。
書いたものは、復習タイムの中で、丁寧に書き直したり、改めて理解するようにしました。必要に応じて本を読んで勉強をしました。
なお、人によっては録音機を使って音声メモをとる人もいると思います。ただ、録って満足してそのまま放置という人もいますから、そうならないように、きちんと再生し、必要なことはきちんと文字にして残したほうが後々便利でしょう。また、レッスンを録音する際は、原則として先生の許可を得て行うようにしましょう。
先生に思いを寄せる
先生が日によって言うことが変わったり、先生によって違うことを言っていたりすることは、1回や2回だけではありません。しかし毎回本気にしていたら精神が崩壊してしまいます。自分の身は自分で守らなければなりません。
そのためには、自分の考え方を広げるよう努めること。そのひとつが、「答えはひとつではない」というものです。
本を読んだりしていると、どうしても理論ばかり先行し、答えがバシッと決まっているかのように錯覚します。しかし本はあくまで理論。実際、歌(音楽)というのは人間の営みであり、必ずしも理論どおりではなく、かえってその不安定さが魅力になったりもします。
まあそれは大げさな話ですが、レッスンで「あ、言ってること、前と違うな」と思ったときは、「今日はそうきたか!いったいどういう風の吹きまわしなのだろう?」と、私はよく先生に思いを寄せるようにしていました。
そして思うに、先生の言うことが変わることは、”わざとそうしている” という可能性もありえます。その日その日の生徒のコンディションに合わせて、「今日はこう伝えたほうが結果的にうまくいくだろう」と、先生も試行錯誤をしながら指導しているのかもしれません。プロといえど人間ですから。
頑なにひとつの答えを守る姿勢も尊いとは思いますが、先生に思いを寄せることで、生徒自身の可能性も拡がりますし、余計な波風を立てずに済みます。どうしても納得できないときは、反面教師にしたりもできますし、「将来自分が先生になったときには気をつけよう」という教訓にもなります。
触られたときはお清めを
前半で、先生に手を掴まれ、先生の腹に当てられた…という話をしました。しかし、それは最初の頃だけで、その後はほとんどありませんでした。
だから大きな問題にはなりませんでしたが、いざ触られたときは、レッスン後に手を洗いました。まあ、それは人間として自然な行動だと思います。私はウェットティッシュも常備していました。
ただ、もし頻繁に起こるようであれば、真剣に考えたほうが良い案件といえます。事務局があれば、そちらに相談したほうが良いでしょう。直接先生に言える間柄であれば良いのですが、そうでないことも多いですし、もしセクハラだったりすると先生を変えてもらったり法的対処をしてもらったりする必要も出てきますから、事務局を通すと安心です。
ちなみに、ハラスメント発言とかをする先生もいます。作品解説上どうしても際どいことを説明する必要もたまにはありますが、気になる場合、録音機をしのばせておきましょう(秘密録音が許されるケースもあります)。
好きなものはとことん極める
これは特に強く意識をしたわけではありませんが、自分にとって好きなジャンルや作品は、とことん極めました。
レッスンでは必ずしも興味のある作品に取り組むわけではありません。そのため、それと並行して(というか自分で勝手に)好きな作品に取り組んで深めていきました。
「先生の言うことだけを忠実に守る」という人も中にはいますし、そのように指導する先生や親御さんもいると思います。しかし、レッスンというのは人生の中心にあるわけではありません。生徒自身が主体性を持って、とことん好きなことに取り組む。その姿勢が大切であり、また尊いものだと思います。
レッスンで興味のない作品をやらされたら、「ま、付き合ってやるか」くらいに構えれば良いと思います。そのくらい気軽でないと、後々つらくなってしまいます。
愚痴ノートを書く
先生が厳しかったり、傷つくことを言ってきたりするケースもあります。また、そうでなくても、考え方のすれ違いなどから、不快な思いをするときもあります。人間の営みなので、当然に起こりうることです。
そんなとき、友人がいれば友人に愚痴るのも手ですが、口が軽い友人だと、愚痴った内容を勝手に他者に言いふらしたりして裏切るおそれがあります。まわりまわって先生の耳に入れば、さらにトラブルの火種になりかねません。
私は、よく愚痴ノートに書き殴っていました。レッスンで言われて傷ついたことや、腹が立ったこと、不安に思うことなど、あれこれ思いつくままに書きました。1ページ丸々使って大きな字で書いたり、あまりの筆圧でノートに穴が空いたりすることもありました。
それだけでなく、気づいた点や嬉しかった点についてもまとめると、気持ちの整理にもなったかと思います。これから愚痴ノートを試す方は、ぜひ前向きな気持ちもつづるようにしましょう。
私が指導者として気をつけていること
私は、大学院を出た後から、レッスンを開いて指導するようになりました。とにかく色々もがきながらではありましたが、自分自身がASDの診断を受ける前から、常に自問自答しながらレッスンの改善に努めました。
私がレッスンで主に気をつけていることを紹介しますので、ASD当事者を生徒に持つ指導者(もちろん非ASDの生徒を持つ指導者も)の方々に参考していただけたら幸いです。
「伝わっているか?」を常に自問自答する
自分の言いたいことは、そのほとんどが正確には伝わらない。そのことを念頭に置いています。それでもなるべく正確に伝えるため、「伝わっているか?」を常に自問自答しています。
論理的な説明、イメージ論的な説明、はたまた書き言葉や話し言葉など、人によって理解のしやすいものは異なります。生徒の希望を聞くことはもちろん、聞かずとも、日頃のコミュニケーションでそういったことを探ります。
最初はもちろん誤解やすれ違いが多いものですが、生徒をよく観察し、自分のことも客観視。レッスンは毎度自信を持って行いますが、終わった後は必ず振り返るようにしています。
触れる前には必ず許可を得る
私は元々他者に触れることは好きではありませんが、指導をするうえでどうしても触る必要が出てくることがあります。
そういうときは、必ず生徒に「どこどこを触らせていただきますが、よろしいですか?」ときいて、許可を得るようにしています。
ただ、それよりも心がけていることは自衛です。昨今、自動体外式除細動器(AED)の使用時ですら、女性の肌に触れて良いかなどが懸念される世の中です。最悪、訴えられてしまう可能性もあります。たとえ無罪だとしても、精神的にやられてしまうこともありえます。
ですから、いっそのこと “触ることはしない” と決めているのが実情です。「生徒を信用しないなんてけしからん」とお叱りを受けるかもしれませんが、リスク管理として必要なことだと考えます。
それでも思わず肌が触れてしまった時は、もはや事故のようなもの。きちんと謝ります。
興味と可能性のバランスを取る指導
自分が興味を持つ作品と、生徒の興味を持つ作品は異なります。そのため、あらかじめきちんとヒヤリングを行い、どういった作品に取り組んでいきたいかなどを聞き出します。
それに合わせて、私もカリキュラムを考えます。とはいっても、上達の上ではやっておいたほうが良い課題もありますから、生徒の興味にかかわらず、それは組み込むようにしています。また、「この作品に取り組めば可能性が広がるかも」と思ったら提案します(生徒がプロ志望なら強めに提案しますが、やるか否かを決めるのはあくまで生徒自身です)。
感情的にならず冷静にフィードバック
私も人間なので、生きていれば当然感情的になることがあります。
ただ、レッスンでは理性を保つようにしています。作品における感情表現や見本は見せたりしますが、生徒が練習してこなかったとか、何度やってもうまく歌えないとか、そういったことで怒ることはありません。それは自分の指導不足でもありますし、生徒自身の課題でもあります。レッスンに遅刻しても、それは生徒が損をするだけですし、それもまた生徒の課題です。
そういえば、私の生徒に、かつて自由奔放な男の子がいました。レッスン中、じっとしていることができず、部屋の外にも行くような子でした。レッスン中におもちゃのボールを投げて遊ぶこともありました。私が苦手とするタイプでしたが、それでも怒ることはありませんでした。レッスンでは彼のやれることをやりました。それが仕事であり、大人としてのマナーだと思うからです。
また、どの生徒に対しても、厳しく伝えたいことでも頭ごなしには言わず、穏やかな言い回しを心がけてきました。一方、レッスン後に生徒に送るレッスンノートでは、比較的論理的なトーンで改善点を述べ、冷静にフィードバックすることを意識しています。
ただ、先生も人間。常に感情が安定しているわけではないし、ミスもあるし、意見や考え方も変わることがあります。仕事のことだけでなく、プライベートにもいろいろな事情を抱えて生きています。生徒からしたら、常に同じ指導を望みたくはなりますが、それは難しいのが現状です。
やはり、先生と生徒が、お互いを思いやりながらレッスンを展開していけるのが良いですよね。信頼関係を築くことは長い時間がかかりますが、小さな積み重ねにより、いずれは深い絆となることでしょう。
以上で終わりますが、最後まで読んでくださってありがとうございます。ASDを持つ私にとって、声楽はときに試練の連続でしたが、それでも歌をやめたいと思ったことは一度もありません。もしあなたがASDで、音楽の道に迷いや不安を抱えていたとしても、あなただけのペースで、あなただけの表現を見つけてください。そして、教える立場の方には、そういった個々の違いを認め、共に歩む姿勢を持っていただけたらと願っています。


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