ASDの私にとって、歌は「人とつながる」ためのツール

自閉スペクトラム症

お待ちしておりました!

今回は久々にASD(自閉スペクトラム症)を歌に絡めた記事です。少しでも発達障害に対する世間の理解が深まればと思って書きました。

なお、これまでのASD関連記事はこちらのページにありますので、お時間ございましたらあわせてご覧ください。

では早速、ASDにとっても歌は社会との翻訳装置であるといったお話を進めていきたいと思います。

ASDと歌

私はASD(自閉スペクトラム症)という発達障害を持っています。多くのASDの人の特性として、コミュニケーションが独特であったり、特定のことにこだわったり、感覚が過敏だったりといったものが挙げられます。

私自身も、興味の対象、価値観、話し方などが独特であったりして、他者とのコミュニケーションに障害をきたすことが多いです(特にリアルでの会話)。それゆえ、他者と会話することに苦手意識があり、言いたいこともうまく伝えられないし、気持ちの言語化にも日々苦労しています(書き言葉なら推敲する時間があるので良いのですが)。

今回は、そんな私にとって歌とはどんな存在なのか?といった視点でお話を進めていきます。

どうして歌が好きなのか

まず私はどうして歌が好きなのか。それについて考えてみましたが、正直なところ色々あるでしょうし、何か特定なものひとつに絞り切ることはできません。

それ前提で言うと、たぶん、自分を思う存分表現できるツールであるから…というのがひとつあると思います。

日頃の会話でうまく言いたいことが言えなかったり声が小さくなってしまったりしても、歌なら本当の自分を見せることができます。もはや歌は、好きというより欠かせない存在になっています。

歌うと気持ちが落ち着く

歌は自分を表現するツールですが、自分の気持ちを落ち着かせるためのツールでもあります。落ち着かせるというのは、リラックスのみならず、気持ちをうまくコントロールするといったところにもつながります。

歌で自己表現をすることで自信が湧いてきます。また、日頃のストレスを歌を通して解消できます。その結果、気持ちが穏やかになったり安定したりします。歌によっては感情が揺れ動きたりもしますが、歌い終わった後はとても良い気分になります。

人と話すより歌うほうが楽

人と話すことは、ASDの私にとっては主なストレス源。そりゃ誰しもそういうことはありましょうが、私の場合は人間関係が不安定になったり仕事でミスをきたすレベルです。常にアドリブが必要ですし、実生活にも影響してきます。

しかし歌は、楽譜というルールに沿って行うことが基本です。先が読めるし、あらかじめ練習もできる。人と話すときとは真逆なのです。もちろん歌にもアドリブ的なパフォーマンスはありますし、ミスをすればリカバリーも必要ですが、それを差し引いても歌のほうが話すより楽です。

ASDの人の多くは、臨機応変な対応よりも、マニュアルに沿ったルーチンワークが得意といわれますが、まさに歌(演奏)は後者が軸だと感じています。

社会は少しわかりにくい

さて、少しお話の切り口を変えてみます。

かなりざっくりとした言い方になりますが、この社会(少なくとも日本の社会)は、私にとっては少しわかりにくい社会です。その理由について改めて以下にまとめてみました。

音や情報が多すぎて疲れる

現代は高度情報社会。スマートフォンでインターネットの世界を渡り歩いていると、たくさんの音や情報が出てきますし、街中でも、あちらこちらからいろいろな音や情報が漏れ出しています。

特にインターネットでは、これでもかというほど情報が出てきます。YouTubeやTikTokではショート動画が次々と移り変わり、またネットミームなどの流行りものも短期間でコロコロ変わり、無意識のうちに脳はビジー状態となります。

ASDの人は、少なからず感覚過敏を持っており、音や光や情報の過多により疲弊している人も少なくありません。私もそうかもしれなくて、疲れがなかなかとれません。

言葉の裏を読むのがむずかしい

先ほど他者との会話に関するお話を出しましたが、それにもつながるのが、言葉の裏を読むという作業です。

コミュニケーションが得意な人なら、言葉の裏を自然に読み取り、相手の好む行動を適切に取れるかもしれませんが、私の場合は、言葉の裏を読むことは〈作業〉。労働のようなものです。

テクニックや経験値から言葉の裏を読むことはできますが、新たなパターンがくると混乱しやすいです。あれこれ考えながら返答しようとするため、反応が重たくなったパソコンのようになります。

「普通にして」がいちばん困る

〈普通〉という言葉は便利なものですね。言うほうは楽ですし、共通認識さえあれば阿吽の呼吸になります。

しかし私は、常に「普通とは何か?」と考えています。というのも、普通というものがよく分からないからです。会話相手との共通認識があればある程度は把握できますが、それでもその〈普通〉という言葉に引っかかってしまい、「普通??普通って何だろう?」と考えてしまうことが多い。

仕事で指示を受ける際も、「普通にやって」より「具体的にこうこうこうやって」と指示を受けたほうが失敗が大幅に減ります。発達障害を持たない人にとってすら、そのほうが良いと思いますがどうでしょう?

歌うとわかることがある

以上を踏まえたうえで、改めて、私にとって歌うこととはどういうことかを述べていきたいと思います。

言葉で言えない気持ちが音になる

歌詞はあくまで作詞者の想い、音楽はあくまで作曲者の想いです。しかし、演奏者は彼ら彼女らの想いを汲み取ったうえで、自分の言葉に変換して歌ったり演奏したりすることになります。

そのため、音楽は自分の感情を代弁する役割も持っているといえます。

また、歌詞や音楽の解釈は割と自由ですし、インターネットや文献で調べて解釈を深めることもできます。そういう作業をくりかえして咀嚼し、自分のものへと吸収していき、最後に排出(表現)するわけです。

言葉の裏がわからずとも、また自分の気持ちをうまく言語化できずとも、理路整然とした音楽を通し、読んだり伝えたりすることができるのです。

メロディーにのせると心が整理される

楽譜にあるメロディーというのは既製品ですし、ある程度音楽理論に裏打ちされています。そのため予測可能ですし、煩雑な存在ではなく、理路整然としたものとして私は感じます。

普段の生活では、予測が難しいことが多い中で会話をしたり、あらゆる情報があふれる中で物事を整理したりしなければならず、それで心も忙しくなります。それに対して歌では、そういうことが起こりにくい。頭をクリアにしての表現が可能です。

さらに歌では、腹式呼吸を駆使して深い呼吸をします。いわば有酸素運動でもあります。有酸素運動をすると、自律神経が整い、一時的にメンタルは安定しやすくなります。

歌を通して多様性を考えられるようになる

歌は、作詞者や作曲者との対話。歌は、歌い手と聴き手の対話。

歌の練習では、調べものをしながらも、そういったコミュニケーションを意識しています。

私はASDですが、他者の気持ちには非常に興味があります。しかし、気持ちの解釈の面において色々なズレが生じることが多く、誤解されることもしばしばあるものです。

しかし歌は、ある意味抽象的なもの。日頃の会話よりもあいまいな言葉を使い、想像の世界を通してコミュニケーションをとることが基本です。そこに確たる正解はなく、多様性にあふれているといったところです。

普通とは何か?にとらわれなくてよい。もちろん史実に基づいた解釈も必要ですが、それは初期段階にすぎず、その先にあるのはやはり多様性だと思います。

歌は人とつながる道

長くなってきたので、そろそろまとめていく方向でお話をしていこうと思います。

言葉がむずかしくても、歌なら平気

言葉というのは実に難しく、それが日常生活の難度を上げる原因でもあります。

しかし歌では、言葉を具体的に取り扱うのではなく、ある程度あいまいな形で、つまり余白を残した状態で取り扱います。私がいくらあらゆる感情を歌に詰め込んでも、すべてを具体的に語ることはできません。

それが歌としての正式な姿なのですから、私は後ろめたさを感じず、堂々としていられます。とはいえ歌では自分自身の感情の発露も行えるわけですから、「ああうまく言えなかった。自分の感情を表現できなかった」と落ち込むこともありません。

音楽は気持ちを分けあえる方法

すごくクサい言い方になりますが、歌に限らず、音楽というのは自分の気持ちを聴き手に分けあえる方法のひとつです。しかも分けあった気持ちに対するリターンの形も、無形で良いですし、聴き手各々が感じたままのもので良く、答えはありません。

日常(主に社会生活)ではズレた意思疎通は忌み嫌われますが、音楽では基本的にそんなことを気にしなくていい。「私の歌を通して何か感じていただたけたなら、それはそれで正解なのだ」と思いますし、聴き手側も「あなたらしい演奏だった」「あなたの歌から◯◯を感じた」と好き勝手に感想を抱いて終わりです。

たま〜に批判もあったりはしますが、それも含めて音楽(芸術)の面白いところだと割り切ることもできます。

歌い手の気持ちをシェアする平和で便利な方法、それが音楽だと思います。

歌があると、世界が少しやさしく見える

ASDを持っていると、人間関係がギクシャクしたり、考え方が偏ったりします。そのせいで、この世界を非情なるものとして感じてしまうこともあります。実際それで悩んでいるASD当事者は少なくないでしょう。

しかし歌は、この世界を少しやさしく見えるようにするためのツールのひとつだと私は思います。

理由は先述のとおり。多様性を考えたり、音楽的コミュニケーションをとったり(とった “つもり” でもいい)、自分自身もメンタルが安定したりといった様々なメリットがあります。それらが作用することで、この世界をあらゆる角度から見る癖がつき、また世間には自分に共鳴してくださる人たちもいることを再認識することになります。

歌をずっとやっているとその繰り返しです。もちろん社会では嫌なこともたくさんありますが、音楽と触れ合うことで、物事をあらゆる角度から捉える癖がつき、また言葉の裏や文脈も読む癖もつき、成功体験も相まり、この世のやさしい面を見る機会が増えます。

例えば、ちょっとぶっきらぼうな態度をとられても「疲れてるのかな?家で嫌なことがあったのかな?」と想像する。それだけでも自分の心は少し軽くなりますし、そこにやさしさが生まれています。

今後も、音楽を深めつつ、さらに人間の複雑性を探るアンテナを研ぎ澄ませていけたらと思っています。別に音楽に限りません。もしあなた様も何か興味のあるものがあったら、それをとことん突き詰めて、この世界を見るためのフィルターにし、人生をより彩り豊かなものにしていってくださいね。

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