お待ちしておりました!
だいぶ暖かくなり、ときには汗ばむ陽気ですね。最近はちょうどいい気候が少なく、寒いのからいきなり暑くなったりするから厄介です。
そこで今回取り上げる歌は、唱歌「朧月夜」。小学校等で習った方も多いと思います。私が歌ったものを掲載します。
原曲に基づいた演奏です。シンプルなのがお分かりいただけたかと思います。
では今回は、「朧月夜」についてクローズアップしていきましょう!
歌詞や言葉の解説
まずは歌詞とその言葉について確認していきましょう。
歌詞と意訳
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かゝりて にほひ淡し里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
【口語訳(意訳:弥生歌月)】
菜の花畑に沈む夕日がぼんやりしており、山の裾を見渡してみると、霞が深くかかっています。春風がそよそよと吹く空へと目線を動かすと、夕月がかかっていて、うっすら美しく光っています。
里の家々のあかりも、森の色も、田中の小道をたどる人も、蛙の鳴くねも、鐘の音も、みんな同じようにぼんやり霞んでいる朧月夜ですね。
言葉の解説
特にこれと言って難しい言葉はありませんが、少し注意が必要です。
- 山の端:辞書的には、山と空との境目の部分を指します。稜線ともいいます。尾根のラインです。しかし、福井直秋編『尋常小学唱歌伴奏楽譜歌詞評釈』第六学年では、山の裾、麓と解説されています。好きなほうで解釈すれば良いと思います。
- にほひ:現代ではほぼほぼ嗅覚に関する言葉ですが、古語では視覚に関する言葉でもあります。美しい姿を指しますが、訳し方はさまざま。ただ、匂いとか香りと訳してはダメです。
- 里わ:人里のことですが、”わ” が付いています。”わ” は語感調整のためにあるように見えますが、goo辞書によると、平安時代以降、里曲(さとみ)という言葉が誤読されたことで生まれたらしい言葉です。里回とも書きます。しかし、福井直秋編『尋常小学唱歌伴奏楽譜歌詞評釈』第六学年では、里の廓(くるわ)と解説されています。
- 蛙:カエルのことですが、古くは “かわず” と読みます。最近、恋愛話において蛙化現象(かえるかげんしょう)なる言葉をよく聞きますが、”かわずかげんしょう” と読むと、少し風流になりますね。
- さながら:そっくりそのまま、まるで、すべてといった意味があります。歌詞では霞んでいるものをあれやこれやといろいろ列挙していますが、それらすべてが同じように…といった意味になるかと思います。なにもかもというニュアンスですね。
- 霞める:霞むでも霞ませるでもなく、霞んでいるといった、現在まさに起こっている状態を意味します。動詞〈霞む〉の已然形に、存続の助動詞〈り〉の連体形がくっついた形であり、その後の “朧月夜” にかかっていきます。
以上がポイントでしょうか。意味をしっかり捉えることで、歌詞理解の解像度が上がり、その分、歌もぐっと深まります。
音声も霞むのか?
この歌の謎めかしい部分は、蛙の鳴き声や鐘の音までもが霞んでいるという部分です。
音声も霞むのでしょうか?
思うに、霞によって多少は音の伝達に影響があるかもしれませんが、霞むというほどにはならないでしょう。だから非現実的な表現といえます。
しかし非現実的であっても、だからこそ芸術的。感覚として現実のように感じることはありえます。あれもこれも霞んでいるという状況に圧倒されて、ついには音までも霞んでいるように感じられる、というわけですね。
心理も影響しているでしょう。遠方に発音源があったとします。それを目視で認識できたら、「あぁ、あそこから音が聞こえる気がする。聞こえるはずだ。ほら聞こえる!」という処理を脳内で瞬間的に行いますが、もし存在を認識できなかったら、そういった処理が無くなり、音をキャッチしにくくなったりしますね。
繊細な感性を持っている人にとっては、あるあるな現象ではないでしょうか?
霞む原因は花粉?黄砂?化学物質?
朧月とは、春にぼんやりと霞んでうっすら光る月のことをいいます。おぼろは月へんに龍と書きますが、誰も見たことがない幻の生き物(龍)のように、月もその姿がハッキリしていない状態であるというわけです。ちなみに春の季語です。
さらに歌では、月のみならず、あらゆる景色が霞んでいます。
では、なぜ霞んでいるのでしょう?
ウェザーニュースの記事によると、どうやら春特有の気流と、チリやホコリや黄砂が関係しているとのこと。別の記事では、やはり花粉も関係しているとありました。こうなればPM2.5などのより細かな化学物質も関係していそうですね。
ざっくり言うと、春霞の原因は、雲や霧ではなく、気流の影響で低空に集まった細かな粒子に日光が当たり、それが散乱することにあるようです。また、新たな緑による蒸散も一因だとか。
今と昔の環境は全く同じではないですが、花粉や黄砂は昔からあったようです。花粉は昭和時代に注目されるようになりましたが、黄砂の日本への飛来については、1266(文永2)年の『吾妻鏡』に「晩に泥の混じる雨降る。希代の怪異なり」と記録されています。
故郷紅葉コンビの作品
「朧月夜」は、1914(大正3)年の『尋常小学唱歌』第六学年用にて初めてこの世に出ました。作詞者は高野辰之、作曲者が岡野貞一です。
このコンビは「故郷」や「紅葉」といった有名な唱歌を書いた人たちです。ほかにも、「春が來た」、「春の小川」などを書いています。現代でも愛唱されている作品ですね。
いずれの歌でも、メロディーの美しさに癒される人は多いでしょう。作曲者の岡野貞一はクリスチャンでオルガニストだったこともあり、作品にはどこか讃美歌らしい雰囲気をまとわせています。オルガン伴奏版に編曲して歌ってもしっくりきそうですね。
ちなみに、「朧月夜」に出てくる景色は、作詞者の高野辰之が育った長野県の景色ではといわれています。
1番と2番まで異なるテンション
実際に歌うときに、丁寧に歌おうとする人は多いと思います。いや、それで良いのです。丁寧で歌うことは基本ですから。
ただ、もう一歩二歩、踏み込んでみましょう。歌詞の世界をしっかり読み取った今なら、きっと素晴らしい歌が歌えるようになっているはずです。
1番はのほほん
1番の歌詞をもう一度掲載します。
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かゝりて にほひ淡し
あぁいい眺めだなあと、のほほんとした内容ですね。特に強い思いはなく、割とニュートラルな状態で歌えば良いと思います。
2番は畳み掛け!あれもこれもこれもあれも!
2番は、1番とは異なり、意識があっちにもこっちにも飛びます。
里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
のほほんとした1番を受けてのこの歌詞です。対比を際立たせると面白くなります。あれもこれもこれもあれもと畳み掛けていくように歌ってみると良いかもしれません。
つまり、1番と2番とでは全然テンションが異なります。2番は感情が昂っていき、テンションの糸は強く張られていきます。そして最後の最後に、”さながら霞める 朧月夜” に着地します。
テンポを思いっきり揺らすとか、強弱をつけまくるとか、そういう単純な話ではありません。糸の張りを少しずつ強めていくように歌うということです。練習では、景色をイメージして、歌詞で描かれている対象物をひとつずつ指差して、「あれも!これも!」と感じながら歌いましょう。しまいには音まで霞んでしまうんですよ!
そういった意識を携えて歌えるか。そしてそれをシンプルな様式の中で遂げるわけです。
そこがこの歌をマスターするうえでのカギかと思います。となると、やはり伴奏者も歌詞を理解して歌い手といっしょに奏でなきゃね。カラオケでは絶対に成し得ません。カラオケでは伴奏が機械的に突き進んでいってしまいますから。


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