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卒業シーズンの名曲といえば、唱歌「あふげば尊し」。時代を経るにつれ歌われることが少なくなってきたようで、ついにはこの歌を知らない人も増えてきているのだとか。さみしいですね。
まずは私が歌ったものを掲載しましょう。
タイトルは片仮名バを使って表記してありますが、それは『小学唱歌集』第三編に記載の記述に従っています。なんだか不思議な書き方ですよね。
この歌を聴くと、本当に仰ぎたくなるような先生って何だろう?と、いつも考えさせられます。私が教師だとして、生徒が自発的にこれを私に対して歌ったら、きっと涙なしにはいられない気がします。
では、「あふげば尊し」について掘り下げましょう!謎めいた作曲者のことにも触れてみました。
いつの誰の何のための歌?
「あふげば尊し」は卒業ソングの定番中の定番として君臨してきた歴史があります。しかし、いったいいつ、誰が書いて、何のために歌ったのか。まずそこを見ていきましょう。
いつの歌?
日本では1884(明治17)年に登場した歌です。『小学唱歌集』第三編の第53曲として掲載されました。東京気象台が日本で初めて天気予報を発表した年です。
誰が書いた歌?
まず歌詞については、文部省の音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)にて合議制で作られたとものと思われます。一説には、取調掛の長であった伊澤修二が歌詞原案を作ったとか。
一方、音楽についても、長年、不詳とされてきました。きっと音楽取調掛で作られたものだろうとの推測はありましたが、合議制のため、唱歌の多くは特定の誰が作ったと決めつけるのは困難かつ野暮です。
ところが、2011(平成23)年に、「あふげば尊し」の原曲が見つかったとのニュースがありました。これについては後述します。
何のための歌?
『小学唱歌集』の第三編に掲載されたということは、もちろん小学校の唱歌の授業で歌うための歌といえます。
ただ、『小学唱歌集』の初編にあった「螢」いわば「蛍の光」が卒業式で歌える歌であり、それのほかにも卒業式で歌える歌として「あふげば尊し」を収録したという経緯がある模様。それを踏まえれば、元々卒業ソングとして誕生したといっても過言ではないでしょう。
ただ、歌ったことがある方は分かると思いますが、歌詞が難解。小学生にはなかなか理解し得ない言葉だったかもしれません。現代でも、間違った解釈で歌っている人がいると思いますから、後ほど解説します。
原曲はアメリカの卒業ソング!?
2011(平成23)年1月24日、朝日新聞の夕刊に「あおげば尊し 米に原曲」と題した記事が掲載されました。どうやら「あふげば尊し」の原曲がアメリカにあったとのことで、しかも作曲者のヒントまで書かれており、衝撃的な内容です。以下に引用したいと思います。
「あおげば尊し」の原曲とみられる歌が見つかった。作者不詳で研発者の間では「小学唱歌集の最大の謎」とされてきたが、米国で19世紀後半に初めて世に出た「卒業の歌」の旋律が同じであることを、一橋大名誉教授(英語学 ・英米民謡)の桜井雅人さん(67)が突き止めた。
[中略]
「あおげば尊し」の原曲とみられる歌は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL 」(卒業の歌)。4部合唱で、メロディーはまったく同じ。歌詞は卒業で友と別れるのを惜しむ内容だった。 1871年に米国で出版された本「THE SONG ECHO」に収録されていた。同書が基本的に初出の曲を載せていることから、桜井さんは「原曲に間違いない」とみている。 作詞はT・H・ブロスナン、作曲者はH・N・Dとあったが、どのような人物かはっきりしないという。
ChatGPTに要点を箇条書きにしてもらいましたので、以下に掲載します。
- 原曲は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」(卒業の歌)。
- 旋律は「あおげば尊し」とまったく同じ。
- 歌詞の内容は、卒業時に友との別れを惜しむもの。
- 1871年にアメリカで出版された楽譜集「THE SONG ECHO」に収録されていた。
- 「THE SONG ECHO」は基本的に初出の楽曲を掲載しているため、原曲と判断された。
- 作詞はT・H・ブロスナン、作曲者はH・N・Dとされている。
- しかし、作曲者H・N・Dの詳細は不明。
下の楽譜は、「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」の楽譜は、下記のサイトに掲載されていますのでご案内します。
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「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」と「あふげば尊し」の歌詞と訳
原曲とされる「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」と「あふげば尊し」の歌詞とその訳の比較をしたいと思います。
「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」の歌詞と日本語訳
We part today to meet, perchance,
Till God shall call us home;
And from this room we wander forth,
Alone, alone to roam.
And friends we’ve known in childhood’s days
May live but in the past,
But in the realms of light and love
May we all meet at last.Farewell old room, within thy walls
No more with joy we’ll meet;
Nor voices join in morning song,
Nor ev’ning hymn repeat.
But when in future years we dream
Of scenes of love and truth,
Our fondest tho’ts will be of thee,
The school-room of our youth.Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear;
The tie is rent that linked our souls
In happy union here.
Our hands are clasped,
our hearts are full,
And tears bedew each eye;
Ah, ‘tis a time for fond regrets,
When school-mates say “Good Bye.”
【日本語訳(意訳:弥生歌月)】
今日でお別れだ。ひょっとして神様が私たちを故郷に呼んでくださって、また会えるかな?なんて思ったりもするけれど…。私たちはこのお部屋を巣立ち、自分たちの道を歩んで行く。子供の頃から共にすごした友達は、きっと思い出の中で生きていくだろう。でも最後には、光と愛の世界で、私たちみんな再会することになるかもしれない。
さらば、慣れ親しんだお部屋よ。ここで喜んで顔を合わせることは、もうない。朝の歌で声を合わせることもなければ、夕方に讃美歌を繰り返すこともない。けれども将来、愛と真実に満ちた情景を夢に見るなら、この類なき愛しさは、あなた、そう、青春を過ごしたこの教室を想うものであるのだろう。
さらば、私たちがこよなく愛した所よ。さらば、親愛なるクラスメートよ。ここでみんなでうれしく心をつないだ絆は、今解き放たれた。手を取り合い、想い満ちあふれ、一人ひとりの目に涙が浮かぶ。ああ、なんて切ないのだろう、クラスメートの「さよなら」を言うこの時…。
「あふげば尊し」の歌詞と口語訳
あふげバたふとし。わが師の恩。
教の庭にも。はやいくとせ。
おもへバいと疾し。このとし月。
今こそわかれめ。いざさらバ。互にむつみし。日ごろの恩。
わかるゝ後にも。やよわするな。
身をたて名をあげ。やよはげめよ。
いまこそわかれめ。いざさらバ。あさ夕なれにし。まなびの窓。
ほたるのともし火。つむ白雪。
わするゝまぞなき。ゆくとし月
今こそわかれめ。いざさらバ。
【口語訳(訳:弥生歌月)】
仰いでみると尊く思わずにはいられない、私の先生の恩。
教えを授かった校庭にも、はや何年もの時が過ぎた。
思えばとても早かったこの年月。
今このとき、別れることになろう。いざ、さらば。
お互い仲良くやった、その日頃の恩のこともまた思う。
別れてからも、いいか、忘れるのではないぞ。
出世して有名となり、さあ、励むのだ。
今だ、別れよう。いざ、さらば。
朝夕問わず慣れ親しんだ学びの窓を思う。
蛍の光で学び、降り積もる白雪で学んだ。
忘れる間などありはしない、この過ぎ行く年月。
今こそ、別れるのだろう。いざ、さらば。
両者の比較
「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」と「あふげば尊し」を比較すると、そう大きくは違わないことが分かります。どちらも学校との別れが舞台です。原詞を書いた人物はおそらく原曲を知っていたのではないか?と思いたくなります。
ただ、「あふげば尊し」は、やはり日本語ということもあって、音に乗せられる言葉の情報量が少なく、全体的にあっさりとしている印象があります。それは言語的な問題であり、仕方がないことです。が、日本には行間を読む風習があるので、自分なりに情報を補いつつ読んでみて良いかと思います。
よくある勘違い
「あふげば尊し」を昔から知っている人にも、おそらく以下の勘違いをしている人はいると思います。今一度確認されてみてください。
いととし: ×愛し ⚪︎いと疾し
“おもへばいととし” と歌うところで、なんとなく愛しいという意味で捉えたくなる人もいると思います。しかしここは、過ぎた年月を思い返し、それを早かったなあと感じているところです。
もし、 “愛し” とするならば、平仮名では “いとし” となるべきです。”いととし” には “と” が2つあるため、日本語としても “愛し” にはなり得ません。
歌うときは、”いととし” をひとまとめに捉えず、〈いと+とし〉と2つの単語がくっついていることを認識した息づかいで歌うとよろしいでしょう。
わかれめ: △別れ目 ⚪︎別れめ
“いまこそわかれめ” を、”今こそ別れ目” と捉える人はけっこういらっしゃるものと思います。私も昔はそうでした。たしかに、別れ際として意味が通りますし、文法的に間違いとまでは言えません。
ただここで注目すべきは、〈こそ+已然形〉の形をとっていることです。古典文法のお話になりますが、ここに 係り結び が見られます。元々は、
今別れむ
です。 “む” は、推量・意志の助動詞なので、現代語に訳すと〈今別れるだろう〉あるいは〈今別れよう〉等となります。
しかし、強意の係助詞〈こそ〉が割り込むと、うしろにくる終止形は已然形として結ばれます。推量・意志の助動詞〈む〉の已然形は〈め〉なので、
今こそ別れめ
となります。したがって、訳すと〈今こそ別れるのだろう〉〈今こそ別れよう〉等となります。”別れ目” だと説明的ですが、推量・意志として捉えると訳し方も多様になりますし、ドラマが感じられます。
ちなみに、そのうしろに文が続く場合は〈今こそ別れるのだろうが、うんぬんかんぬん〉等の訳し方となりますが、”今こそ別れめ” のうしろにくる “いざさらば” は別個で扱ったほうが自然です。
あふげば: 実はオーゲバ?
“あふげば” について、この歌を歌うほぼ全員がアオゲバと発音しているといると思います。
結論を先に申しますと、それで良いんですよ!
ただ、研究者の中には、オーゲバと発音するのが正しいと主張する方もいます。これは、発音ルールに従うならば〈あふ〉=〈あう〉はオーとなるべきだという論理からきています。たとえば〈あふぎ(扇)〉はオーギです。NHK『放送研究と調査』2017年11月号の中にも、このような表があります。

したがって、オーゲバと歌うのもまたひとつの方法です。
…が、同書の中にはこのような記述もありました。

[中略]

※最後の一行は改段されていたため当方にて結合
以上を踏まえると、アオゲバと発音するのが最適解のように思います。けれども、オーゲバというのも元来の発音ルールに従っているため、一般的ではないが間違いと断ずることはできません。
そこで私が導き出した独自の方法は、アオゲバとオーゲバの中間にあたる曖昧な発音をするというものです。どちらかを選ばなければならないこともないですし、日本語の発音というものは、話者や歌い手によって元々多様なものです。発音のバラエティは豊富なのです。


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