波浮の港(野口雨情、中山晋平)磯の鵜の鳥ゃ日暮れにゃ帰る…

歌曲

お待ちしておりました!

私の好きな歌曲に「波浮の港」があります。民謡らしくて渋いのがたまらんですね。こねくり回して歌うのもクセになります。

というわけで、私が歌ったものを掲載します!

まあ私の歌唱はさておき、芸術作品としてはこれでひとつの素晴らしいものかと思います。しかし、この歌の歌詞に対する批判的な指摘も存在するのですね。

というわけで、今回は「波浮の港」についてクローズアップしていきましょう!

歌詞と解釈

まずは歌詞全文と簡単な解釈をしていきたいと思います。なお、詩自体は5番までありますが、多くは4番までしか歌われません。

歌詞

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃかえる
波浮の港にゃ 夕やけ小やけ
あすのひよりは
ヤレホンニサ なぎるやら

船もせかれりゃ 出船のしたく
島の娘たちゃ 御神火ぐらし
なじょな心で
ヤレホンニサ いるのやら

島で暮すにゃ とぼしゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港とは
ヤレホンニサ 風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船のときにゃ
船のともづな
ヤレホンニサ 泣いて解く
 
磯の鵜の鳥ゃ 沖から磯へ
泣いて送らにゃ 出船もにぶる
あすもひよりで
ヤレホンニサ なぎるやら
 

解釈文(意訳:弥生歌月)

磯の鵜の鳥が、日暮れに自分たちの巣へと帰っていく。
波浮の港は、夕焼け小焼け。
明日の天気は、
ヤレホンニサ、穏やかだろうかねぇ?
 
船も慌ただしくなれば、ついに出航の準備ということさ。
島の娘たちは、御神火のもとで暮らしている。
いったいどんな気持ちで、
ヤレホンニサ、いるのだろうかねぇ?
 
島で暮らすと、本土とのやりとりが少なくて寂しいもの。
伊豆半島の伊東とは郵便でやりとりしているけれど、
下田港とは、
ヤレホンニサ、風でやりとりするようなものさ。
 
潮風と、御神火おろしがせめぎ合っている。
島の娘たちは、出航のときには、
船をつなぎ止めておく綱を、
ヤレホンニサ、別れを惜しみながら泣いてほどくのさ。
 
磯の鵜の鳥は、沖から磯へと飛んできた子たち。
泣いて送ってやらないと、出航も後腐れだ。
明日もいい天気で、
ヤレホンニサ、穏やかであってほしいもんだねぇ。
 

以上が私の解釈文ですが、これはあくまで一例です。ほかの解釈の仕方もあって良いと思います。

難しいことばの意味

歌詞を見ていただいて分かるように、所々難しいことばが用いられています。以下にて簡単に説明したいと思います。

  • ヤレホンニサ:これは語調を整える囃しことばです。ただ、あえて訳すなら “やれ本当にさ” という感じになるかと思います。だとしても深い意味はなく、言うなれば強調効果でしょうか。
  • 御神火:火山の噴煙や、溶岩で火口付近が赤く映える様子を神格化した呼び方です。伊豆では三原山のものを指します。
  • 御神火ぐらし:三原山の下、御神火が出てくるところでの暮らしという意味でしょう。
  • 風だより:これは郵便だよりと対照的なことばで、何もやりとりがないことの比喩でしょう。噂でしか伝わってこない状況といえます。風の噂とも呼ばれていますが、本来は風のたよりといいます。
  • 御神火おろし:おろしは、漢字で書くと颪ですが、これは山から吹き下ろす風のことを指します。下りてくる風なので颪と書くわけですね。御神火の出る三原山の上から吹き下ろしてくる風でしょう。潮風と対照的なことばであら、まるで水と炎ですね。
  • ともづな:船のケツっぽである艫(とも)にあり、船をつなぎとめる綱のことです。

地名と地図

「波浮の港」には地名も出てくるので、地図で現在の位置を確認してみましょう。

波浮港(はぶみなと)

伊東港

下田港

伊豆のトライアングル

そして上の3つを俯瞰して見てみると、トライアングルになっているんですよ!波浮港を基準に、きれいな二等辺三角形です。

二等辺三角形
Googleマップより

まあ、偶然だと思うのですが、できすぎていますよね。バミューダトライアングルの伝説のように、この伊豆トライアングルの中にも、何か秘密が隠されているかもしれませんね!

歌詞への批判的指摘

さて、歌詞は先述したとおりですが、実は批判的な指摘もあるのです。

それは Wikipedia の「波浮の港」のページに書いてありました。

作詞にあたり雨情は現地には全く行かず、地図さえも確かめなかった。このため、歌詞が必ずしも現地の風景に忠実でない部分がある。東を海に面し西側に山を背負って全く夕日が見えない波浮港に「夕焼け」を見せる点や、雨情の故郷の磯原にはたくさんいるものの、大島には全くいない海鵜が登場する点がそれにあたる(長良川の鵜飼いに使う海鵜も、磯原に近い茨城県十王町産である)。

上記は2025(令和7)年1月27日現在のものなので、いずれは消されてしまう可能性もあります。が、なかなかに鋭い指摘だなあと思います。

先ほど地図を見ていただいたように、波浮港は伊豆大島の東側にあり、山を西側に携えています。だから夕焼けの登場は忠実でない、ということです。

だけどおかしい

はじめ、私は上記の指摘を鵜呑みにしてしまいました。

しかし、視聴者から「夕焼けは見える」旨の指摘を受けました。残念ながらコメントを削除されたようなのでご紹介はできません。が、私はその視聴者の指摘にも納得しました。

よくよく考えてみたら、いくら西側に山があろうとも、夕焼けが見えないはずはありません。たしかに夕日が地平線に沈むのは見られなくても、空が赤く染まることは十分にありえることです。

したがって、Wikipediaに書かれている指摘では誤解を招くと思いました。いや、「夕焼けは当たり前に見える!」と常識では分かっていても、それを読むと脳が勝手に「夕焼けが見えるなんておかしいよね」と妙に納得しかねません。なので、まだ「夕日が地平線に沈むのを見るのは難しい」なら良かったかもしれませんね。まあ、そんなこと言ったら、地平線が見られない場所なんて日本各地にありますよ。

ただ、どのみち歌の中に出てくるのは夕日ではなく夕焼けですから、夕日の沈むのを見られる見られないは、そこまで重要ではないと思いますね。

ChatGPTによる意見とアドバイス

なお、ChatGPTはこんな意見とアドバイスをくれました。

波浮港(はぶみなと)は伊豆大島に位置し、東側に面しているため、基本的には朝日が美しく見られる場所として知られています。一方で、夕焼けについては西の空が開けた場所でないと見えにくい場合があります。

ただし、天候や季節によっては、夕焼けの赤い光が周囲の山や空に反射して、波浮港の風景を染めることもあります。また、西側に向けて少し移動すれば、夕焼けの絶景が見られるポイントがあるかもしれません。西側の眺望を楽しみたい場合、元町港や裏砂漠周辺など西側のスポットを訪れるのがおすすめです。

なるほど、波浮港は伊豆大島の東側なので、朝日は一段とハッキリ見えそうですね。

違和感のある声楽的歌唱について

歌曲「波浮の港」は、声楽を専攻する人も割とよく歌ったりします。

しかし、この歌を優等生的な歌い方をしている人もけっこういて、私はそれに大きな違和感を抱いています。

ベルカント唱法で歌うな!

声楽の基本的な歌唱法にベルカント唱法があります。イタリアのオペラのような歌い方をイメージしていただくと良いでしょう。声楽を学ぶ人は必ずこれを習得します。中にはこのベルカント唱法を神格化している人さえいます。

ところが、ベルカント唱法と日本的な歌は、本当に相性が悪いです。日本語そのものの発音が潰れやすいというキライも元々ありますが、重力に素直に従う日本的な歌い方とは違い、重力に逆らうような歌い方をします。しかも音と音のあいだを満遍なく音で満たすように歌います。

そんな歌い方で「波浮の港」を歌うと、この歌の民謡調の良さが半減します。しかもせっかくの雰囲気が壊され、途端に洋風な港になってしまいます。そこに御神火おろしは吹きません。

日本的な節回しを意識しよう

だからといってダミ声で歌えば解決!というものでもありません。声そのものは綺麗でも良いと思います。だけど、日本的な節回しが必要です。

日本的な節回しとは、高い音を引っ掛けるように歌ったり、下から音程を取りに行ったり、ずり上げたりずり下げたり、コブシを生かしたり、低いほうの音で重さをつけたりする歌い方です(言葉で言っても難しい!)。

やりすぎるとわざとらしくなるのでいけませんが、そういった妙味を醸し出すことを意識すると、グッと味わい深い歌になろうかと思います。

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