港町十三番地(石本美由起、上原げんと)長い旅路の…

歌謡曲・演歌

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今回は、美空ひばりさんのマドロス演歌「港町十三番地」について。偉大なる歌のひとつなので少々恐れ多いです。。

ではまず、私がYouTubeで歌ったものを掲載します。声楽人間がピアノ伴奏で歌っているわけでして、なかなかそういうものは無いので、割とレアな気がしています。

今回はこの歌についての私の解釈を述べていこうと思います。

港町十三番地ってユートピア?

この歌でまずイの一番に気になるのは、タイトルや歌詞末尾の “港町十三番地” 。

いったいどこの港町で、十三番地とはどういった場所なのでしょうか。歌になるくらいですから何かあるはず。

実在しない場所!?

もったいぶらずに結論から言いますと、港町十三番地は、この世には存在しない場所です。

ただ、あくまでそれは結果的なお話であり、厳密には、実在する場所をもじった地名になっています。というわけで追究していきましょう。

日本コロムビアの所在地

日本コロムビア株式会社というレコード会社をご存じでしょうか。戦後は日立グループの一員として、数え切れないほどの有名な楽曲を世に出してきた会社です(←大ざっぱ)。

その本社と工場が、神奈川県川崎市川崎区港町(みなとちょう)にありました。歌の “港町(みなとまち)” は、その地名からとった名称だそうです。それでコロムビアは「港町十三番地」で年間チャート1位を獲得しました(なんかちょっとズルい気もするぞ)

ただ、港町は港町でも、実際は九番地だったそうで、十三番地ではなかった。語呂の良さから、作詞者がそのように変更したといわれています。

ひばりの故郷と港町

「港町十三番地」の名称については先述のとおりですが、歌詞で描かれている世界は、美空ひばりさん(以下ひばり)の故郷も舞台となっているようです。

ひばりは神奈川県横浜市磯子区の出身で。横浜市磯子区は東京湾に面しています。そして横浜市の北側(東京寄り)には、先述の川崎市があります。

「港町十三番地」は、そのひばりの故郷と、川崎市港町が舞台となっているのだそうです。

やはりユートピアか

ただ、歌詞のどの部分がどこを描いているのかという具体的なところまでは不明ですね。というか、それを特定しようとすること自体、野暮なことかもしれません。

歌の舞台があるとはいえ、また、語呂のため生まれた名称にすぎないとはいえ、港町十三番地は実在しません。

だからこそ、私にはユートピアが見えます。長い旅路の航海を終えてたどり着く場所。灯るネオンと乾杯、そして三日月様。束の間の幸せを描いたおとぎ話のような世界に感じます。

(ちなみに、13という数字は、主にヨーロッパで忌み数として扱われることがありますが、中国や仏教では吉数なんだそう。)

ユートピアにつながる駅

そのユートピアにつながる駅があります。まるで異世界駅みたいな言い方ですが、いえ、実在する駅です。

その駅こそ、京浜急行電鉄の港町(みなとちょう)駅。大師線にある駅ですが、2022年度データでは、大師線中最も利用客の少ない駅で、京急全体でも72駅中61位という駅だったみたいです。

そんな駅だけれど(だからこそ!?)、ユートピアへの入口。そう、港町十三番地へ行けるかもしれない駅であるわけです。ホームで使われる列車接近メロディには「港町十三番地」が用いられ、南口には歌碑や譜面などもあります。というのも、先述のコロムビアの工場の最寄駅だったからです。

ただ、繰り返しになりますが、港町十三番地は実在しません。イマジナリーワールドです。その世界に行くには、行きたいという強い意思とロマンこそが、必要不可欠なパスポートとなります。

切ない恋の歌?

「港町十三番地」では、女性が男性の帰りを喜び、束の間の幸せを噛みしめ、それでもまたすぐに離れ離れにならなければならない切なさを歌っている。……これがごく一般的な解釈だと思います。

ただ、歌というのは色々な見方ができます。単純に恋の話と捉えることができれば、もっと広義的な愛情や友情などとしても捉えることもできるでしょう。平たく言うと〈大切な人〉ですね。

もう会えないかもしれない

漁か何か知りませんが、とにかく海へ出ることは危険を伴います。明日の命もあるか分かりません。待っているほうとしては、「もう会えないかもしれない」という思いは少なからずあると思います。

でもまた無事に帰ってきたら、パーッと盃を交わしてお祝いし、銀杏並木を一緒に歩いて積もり積もったお話をしよう!

束の間の幸せ

船が着く日に咲いた花。夜の別れの乾杯では、窓で三日月様が泣き、花は風に散っていきます。これは単なる情景にとどまらず、心情をうまく描いている、実に芸術的な描写ですね。

花が咲いて散るまでの期間は、花の種類にもよりますが、そんなに長くはありません。仮に2週間程度だとしても、大切な人との2週間は短すぎます。現実世界だとしても、その束の間の幸せは、現れたと思ったらすぐに消えてしまうユートピアともいえるでしょう。

歌う上でのポイント

やっとこさ音楽のお話です。

私は声楽畑の人間なので、演歌の歌い方はからっきし素人!しかし、そんなときこその勉強です。以下、説明をしていきましょう。

最初の “な” ですべてが決まる

この歌で一番はじめに発するのは “長い旅路の” の “な” 。実際は “なー〜ぁ” ですね。極端な話、ここだけでこの歌のすべてが決まると言っても過言ではないと思います。

迷わずに堂々と歌い始めることが肝心。ただ、旅路が非常に長かったことを聴き手に感じさせるには、ただ歌えば良いわけではなく、ネットリ感のあるまどろっこしさを出すと良いかも。文字(というか記号)で書くとまさに「〜」です。”ぁ” を歌うときも、品良く過ぎていくのではなく、次の “が” に向かってずり上げていく感じですね。

重力に素直に従う

演歌をはじめ、日本的な旋律が用いられている歌は、基本的には重力に素直に従って歌うと良いと思います。

西洋の声楽の場合、低い音であっても響きを浮かせるようにし、高い音は重力に逆らってパーンと出していきます。しかし日本では、低い音では地を這い、高い音では下から引っ張られるかのような発声をします。
※分かりやすいよう極端な説明にしています。実際はもっと多様。

「港町十三番地」でも、重力に従い、低いほうの音は地を意識。高い音にヒュッと上がるときは、下から引っ張られつつも、上にある物にタッチするかのように歌う。するとなんとなくひばりっぽくなるかもしれません。裏声を駆使するとなお良しですね!

演歌ビブラート

ビブラートとは、音や声の音高や強弱を揺らすこと/揺れることをいいます。

西洋の声楽では、自然(というと漠然としているけど)なビブラートが求められることが多いです。対して演歌では、演歌ビブラートといって、わざとらしく音を揺らす方法があります。しかも単に揺らすのみならず、一旦まっすぐ出してからビブラートをかけたりもしますね。

ただ、ビブラートは、常に付けなければならないものではなく、付けたいところに付けるもの。要は装飾です。表現の一種だと私は考えています。西洋の声楽だって根本は同じ。表現上必要ならノンビブラートも全然アリでしょう。

「港町十三番地」でも、表現のひとつとしてビブラートを要所要所に取り入れると、歌に深みが増すと思いますね。基本、長い音で演歌ビブラートを使うと、それだけで演歌らしくなります。

伴奏よりわざと遅らせる技

西洋の声楽では、基本的に伴奏とピッタリ合うことが求められます。ピッタリ合わせようとすると少し遅れるので、伴奏より少し早く歌いなさいと指導を受けることもあります。

ただ演歌では、色々聴いていると、伴奏より遅れで(遅らせて?)歌っている歌手も少なくありません。西洋の声楽だとそれだけでテンポ音痴だのリズム音痴だの言われますが、演歌だとかえって味になるから不思議です。

そのため、要所要所で伴奏よりわざと遅らせて歌うことで演歌らしさが出る気がします。ただ、あまりに猿真似として行うと白けるでしょうね。熟練した歌手であれば、必要なところでちょうど良い塩梅でできるのでしょう。。

……とまあ、ことばで言うのは簡単ですね。実際に自分の技として身につけるのはなかなか長い旅路になりそうです。がんばろ。

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