五月の歌(W.A.モーツァルト、青柳善吾)樂しや五月 草木はもえ…

歌曲

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新緑の美しいこの頃ですが、例年より幾分か涼しい日が多いような気がします。というよりここ何年かの5月は暑いので、これが本来の気候だったかな?と思います。

そんな今日ご紹介するのは、「Sehnsucht nach dem Frühling(春への憧れ)」を原曲に持つ「五月の歌」。私が歌ったものを掲載しましょう。

ドイツリートに造詣の深い方にとっては聴き馴染みのあるメロディーかと思います。

しかし実は、「五月の歌」にはとある謎があります。今回はこの歌に掘り下げ、その点も触れたいと思います。

歌詞

まずは「五月の歌」の歌詞から見ていきましょう。こちらは、1947(昭和22)年に、音楽教育者の青柳善吾によって書かれ、音楽の教科書に取り上げられるようになりました。

樂しや五月 草木はもえ
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろあるき

うれしや五月 日影ははえ
わか葉の森に 小鳥歌う
そよ風わたる 木かげ行けば
心もすずし そぞろあるき

古めかしい言葉づかいではありますが、特に意味の解説は必要ないかと思います。新緑の美しい5月に、さわやかな風が吹いてくるような歌詞ですね。

唱歌「上野の岡」として

実は、「五月の歌」よりも古い日本語歌詞もあり、それが唱歌「上野の岡」です。1890(明治23)年の『明治唱歌』に掲載されたので、相当の古さです。

歌詞

「上野の岡」の歌詞は、「故郷の空」「青葉の笛」「鐡道唱歌」などを書いた大和田建樹が書きました。

春のさくら秋のもみぢ
ながめたえぬ上野の岡
知るやむかしあの木隂に
ふりみだれし矢玉の雨

ゆふべ霞む忍ばず池
岸の火影たかくひくし
やなぎを吹く風の外に
今は聞かぬときの響

「五月の歌」に比べるとずいぶん時代を感じます。完全な現代人である私からすると、直感的には風流な歌に感じてしまいますが、実は戦争の色が見えます。戊辰戦争の上野の戦いがテーマのようです。とはいえその戦いは江戸時代のことですけどね。

なお、”外” は、そと ではなく ほか と読みます。

原曲歌詞と日本語訳

では、原曲である「Sehnsucht nach dem Frühling(春への憧れ)」の歌詞について見ていきましょう。

原曲歌詞

原曲の歌詞は、18世紀、ドイツの詩人・C.A.オーヴァーベックによって書かれました。少々長い詩です。

Komm, lieber Mai, und mache die Bäume wieder grün
und lass mir an dem Bache die kleinen Veilchen blühn!
Wie möchte ich doch so gerne ein Veilchen wieder Sehn,
ach, lieber Mai, wie gerne einmal spazieren gehn!

Zwar Wintertage haben wohl auch der Freuden viel:
man kann im Schnee eins traben und treibt manch Abendspiel,
baut Häuserchen von Karten,spielt Blindekuh und Pfand,
auch gibt’s wohl Schlittenfahrten aufs liebe freie Land

Doch wenn die Vögel singen und wir dann froh und flink
auf grünem Rasen springen,das ist ein ander Ding!
Jetzt muss mein Steckenpferdchen dort in dem Winkel stehen,
denn draussen in dem Gärtchen kann man vor Schmutz nicht gehn.

Am meisten aber dauert mich Lottchens Herzeleid,
das arme Mädchen lauert recht auf die Blumenzeit.
Umsonst hol ich ihr Spielchen zum Zeitvertreib herbei,
sie sitzt in ihrem Stühlchen wie’s Hühnchen aus dem Ei.

Ach, wenn’s doch erst gelinder und grüner draußen wär!
Komm, lieber Mai, wir Kinder, wir bitten gar zu sehr!
O komm und bring vor allem uns viele Veilchen mit,
bring auch viele Nachtigallen und schöne Kuckucks mit.

日本語訳(訳:弥生歌月)

意訳しすぎず、でも直訳を日本語としてわかりやすい形にアレンジして訳しました。

おいで、いとしの5月。今年も木々を生い茂らせて。
かわいいスミレちゃんを川辺に咲かせ、ぼくに見せて。
たった一輪のスミレちゃん。もう一度会いたくて仕方ないよ!
ああ、いとしの5月。なんともうれしくてたまらずに、また散歩へ行くことになるのかな!

とはいえ、たしかに冬の日々もまた楽しいこといっぱいあるよね。
ひとりで雪の中をどんどん進んだり、夕方にはいろんなお遊びをしたりね。
カードでちっちゃなお家をつくったり、目隠し鬼や質物遊びをしたり、
愛すべき広い野っ原にソリを走らせたりもする。

でも鳥たちが歌うと、ぼくらはうれしくて、すぐさま
緑の芝生で飛び跳ねるんだけど、それはまた別の話。
今の場合はね、ちっちゃな木馬があの隅にいないとダメなんだ。
だって、外の坪庭は泥まみれで歩けやしないんだから。

だけど、ロッチェンの気持ちを思うと、ものすごく気の毒だよね。
そのかわいそうな女の子は、花が咲く季節をじっと構えて待っている。
ぼくはその子の暇つぶしにおもちゃを持ってくるんだけど、無駄。
その子は、まるで孵りたてのヒヨコのように、ちっちゃなイスに座っているにすぎない。

ああ、ただもっと穏やかでもっと緑が増えてくれさえすればなあ!
おいで、いとしの5月、ぼくたちわたしたち子どもは心から願っているよ!
おお、来て、ぼくたちみんなにスミレちゃんを持ってきて。
ナイチンゲールもたくさん、そしてきれいなカッコウも連れてきて!

「五月の歌」と「春への憧れ」のちがい

ここで「五月の歌」と「春への憧れ」のちがいについて、整理してみましょう。

同テーマだが内容が異なる

どちらも5月というテーマこそ同じですが、内容は全然異なります。

上記でご覧いただいたとおり、「春への憧れ」では、まだ5月が到来していません。おそらく4月以前のまだ寒い頃です。冬遊びの話も出てくるので、冬だと思います。ドイツなどの冬は非常に厳しく、春が訪れると本当に飛び跳ねるかのようにうれしい気持ちになる、と音大時代の教授が言っていました。

一方、「五月の歌」は、時期がハッキリしません。春とも冬とも限らず、5月のことを歌っているにすぎないので、なんならいつ歌っても良さそうですね。私としてはやはり5月頃に歌いたいですが。

実はメロディーが異なる

「五月の歌」と「春への憧れ」は、同じメロディーと思いきや、実は少し異なるのです!

冒頭の私の歌では、「春への憧れ」と同じ楽譜を使ったため、メロディーにちがいはありません。しかし、「五月の歌」と題された昔の楽譜を見てみると、音やリズムが微妙に異なります。つまり改作が施されているというわけです。

そしてその「五月の歌」は、先述した「上野の岡」と同じメロディーを持ちます。

ここで「上野の岡」の譜面と「春への憧れ」の譜面を比較してみましょう。楽譜が読めない方はスルーしてください。

上野の岡

上野の岡

『明治唱歌抜萃小学唱歌 訂2版』より

春への憧れ

春への憧れ

Peters版

伴奏については今回は無視し、歌のメロディーだけを気にして比較してみると、所々異なっていることが一目瞭然です。

おそらく、日本語に合わせて、また、比較的歌いやすいよう、「上野の岡」の掲載時に改作されたのだと思います。臨時記号♯による ‘胸がキュッとする感じ’ がなくなり、音の運び方もシンプルになって躍動感が薄まり、W.A.モーツァルトらしさが消えてしまいました。それは忍びなかったので、私は彼が書いたままのメロディーで「五月の歌」を歌いました。

冒頭で述べた謎というのは、そのメロディーのことです。まあ、全体的な雰囲気は似ているので、聞き過ごしてしまっても無理はないでしょう。

「早春賦」との類似

吉丸一昌作詞、中田章作曲の唱歌に「早春賦」があります。”春は名のみの風の寒さや” ではじまる歌です。同じく春を歌いますが、曲名どおり早春であり、冬らしさが残る頃の情景を描いています。

「早春賦」は、「春への憧れ」との類似性が指摘されています。つまり「五月の歌」とも似ているということになります。

中田章が意図して似せたのかどうかは否定的な見解もありますが、春を感じる躍動感や美しさという点でインスパイアされていた可能性は否めません。

一方で、共通点としては、低い音から一気に駆け上っていくところ。そして8分の6拍子。これらの要素だけでも、春を表現すればおのずとメロディーが似てもおかしくないでしょう。

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