お待ちしておりました!
桜も咲き、新年度となりました。私の生活は何も変わりませんが、なんとなく新鮮な気持ち。子供の頃は、新しい担任の先生が誰になるか、ワクワクドキドキしたものです。
さて今回は、唱歌「霞か雲か」です。まずはYouTubeにあげた私の歌からお聴きくださいませ。
2番以降、節回しで少し遊びました。一部「きらきら星」と同じメロディーで歌ってみましたが、コード進行や抑揚が同じなので、やはり合いますね。
というわけで以下にて詳しく見ていきましょう。
歌詞の意味と解釈
「霞か雲か」の歌詞には2種類あります。ひとつは加部巌夫(かべいづお)によるもの、もうひとつは勝承夫(かつよしお)によるものです。
日本語オリジナル・加部巌夫版の歌詞
冒頭の動画では、日本語版オリジナルの加部巌夫版で歌っています。1883(明治16)年、『小學唱歌集 第二編』にて発表されたものです。
かすみか雲か はた雪か。
とばかりにほふ。その花ざかり。
もゝとりさへも。うたふなり。かすみははなを。へだつれど。
隔てぬ友と。きてみるばかり。
うれしき事ハ。世にもなし。かすみてそれと。みえねども。
なく鴬に。さそはれつゝも。
いつしか來ぬる。はなのかげ。
【口語訳(訳:弥生歌月)】
霞なのか雲なのか、それとも雪なのか、空が白くかすんでいます。少しのあいだだけ美しく輝く、桜満開の時期ですね。いろいろな鳥たちが歌っている声が聞こえてきます。
霞は、桜の花が見えないように切り離してしまいますが、縁の切れない仲睦まじい友人と花見に来られることほど、うれしいことはありません。
霞んでいて桜があるようには見えないけれど、鳴いている鶯の声に誘われて行ってみたところ、いつのまにか目の前に立ち現れた桜の姿でした。
注意すべき意味の取り方
歌詞は古典的な書き方がされているので、なんとなくストレートには意味を捉えにくいものです。上に書いたのを参考にしていいだければ良いですが、注意点をかいつまんでお話しします。
にほふ:これは、香るということではなく、美しく映えるといったような意味です。嗅覚的ではなくて視覚的。
それ:3番に出てくるこの指示代名詞は、一体何を指すか。文脈からして、末部の “花の影” と思われます。
いつしか來ぬる花の影:これは “いつのまにか(私たちは)桜のもとに来ていた” という情景ですが、”いつのまにか(私たちのところに)来ていた桜の姿” と私は捉えました。というのも、”きぬる” は連体形であり、 “花の影” を直接修飾しているからです。
より説明的な英語にすると、こうなります。
We realized ー it was the cherry blossoms, which have appeared unawares.
私たちは気付いた。それがいつのまにか姿を現した桜の木であると。
歌詞の解釈
1番では、桜満開の時節を提示しています。2番以降では、仲睦まじい友人と共に鶯の声に誘われて霞の中を歩いて行ったら桜に出くわした、という様子を描いています。ほのぼのとした歌ですね。
ただ、”いつしか來ぬる 花の影” 、つまり〈いつのまにか来ていた桜の姿〉とあるように、自分たちが歩いて桜を見に行ったというよりも、桜のほうから私たちの前に来たという描き方をしています。
こここそが、この「霞か雲か」のクライマックス、かつ、感動ポイントだと思います。
霧の中を歩いたことがある方は分かると思いますが、気分的にはいつまでも似たような景色が続きますよね?まるで移動していないかのように…。でも至近距離は見えるので、何かに出くわすと、突然目の前に現れたかのように錯覚するのです。つまり自分としては特に何も変わりはないのに、何かが来たように感じるのです。ワオッ!と声を上げてもおかしくない状況です。
そんな大袈裟な!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そのくらいに捉えてこそ歌というものだ!と私は思います。
昭和に生まれた勝承夫版の歌詞
1947(昭和22)年には、音楽の教科書『四年生の音楽』に、勝承夫が書いた歌詞が掲載されました。加部巌夫の歌詞より平易な言葉で書かれています。
かすみか、雲か、ほのぼのと、
野山をそめる、その花ざかり。
さくらよ、さくら、春の花。のどかな風に さそわれて、
小鳥もうとう、その花かげに、
いこえばうれし、わか草も。したしい友と きてみれば、
ひときわたのし、その花ざかり。
さくらよ、さくら、春の花。
こちらで覚えている方のほうが多いかもしれませんね。
大和田建樹「小鳥の歌」
あまり知られていませんが、1892(明治25)年の『幼稚園唱歌』には、大和田健樹が書いた「小鳥の歌」があります。「霞か雲か」と同じメロディーですが、最初のワンフレーズと同じフレーズがもうひとつ追加されています。
小鳥の歌は いともたのし
野にも山にも ひゞきわたる
うぐひす ひばり こゑを限りに
春のよろこび つきせず歌ふこなたかなたに とびかけりて
わが巣作らんと ところえらぶ
聲うつくしく 身がるくまひて
春のよろこび つきせず歌ふ
元はドイツ民謡で春の歌
「霞か雲か」のクレジット表記を見ると、多くの場合、ドイツ民謡と書かれています。では、どんな曲かご存じでしょうか?
……今の時代、調べたらすぐ出てきますけれど、答えを言うと「Alle Vögel Sind Schon Da」(鳥たちがやってきた)です。直訳すると「あらゆる鳥たちはすでにそこにいる」となりますね。春の訪れを喜ぶ歌です。
この歌は、1844年に発表されたときには「Frühlingslied」(春の歌)というタイトルでした。メロディー自体はもっと古く、18世紀のものだそうです。だから、真の原曲は別に存在するのかもしれませんね。
「きらきら星」との関係
コード進行も小節数も拍子感も何もかもがそっくりな童謡に「きらきら星」があります。
しかし「きらきら星」はフランス民謡由来で、「霞か雲か」はドイツ民謡由来。つまり両者の生まれは異なるのです。だから表向きには、この2曲に関連はないとされています。
……本当に関連はないのでしょうか?
私はどうしても関連性を考えてしまいます。フランスとドイツは隣同士ですし、ルーツを辿っていくことができるならば、もしかしたら同じ民謡か何かに行き着くような気がします。
ただ一方で、偶然同じようなメロディーになった可能性もあるでしょう。日本でも、偶然似た曲が著作権侵害で訴えられて裁判で負けてしまった事例があるほどです。「霞か雲か」ほどシンプルな歌だと、何かに似てもおかしくはありません。
歌うときのポイント
最後に、私の主観を交えつつ、「霞か雲か」を歌うときのポイントをまとめたいと思います。
最高音を基準にする
この歌は、最初の一小節目だけでいきなり1オクターブの上昇があります。これがまず難しいんですよね。
いちばんはじめの音を基準にして歌うと、上の音にのぼったときに苦しくなってしまいます。これは、高いところにある棚に、やっとの思いで小物を置くような感覚です。
そうではなく、のぼりきった先の最高音を基準に捉えたままはじめの音を歌うと、高い所から下の床に小物を置くような感覚になり、少し歌いやすくなるかと思います。
“にほふ” は ニオー
“にほふ” は、現代では ニオウ(niou)と発音することがほとんどです。なんか臭うよね?と言うときとか、ニオウと言いませんか?
ただ、古い日本語では ニオー と歌うことが多いです。実は今でも ニオー です。〈おう〉は オー と発音するという原則があるからです。〈おとうさん〉〈おうさま〉〈こうちゃ〉〈さとう〉も、それぞれ ウ をわざわざ発音せず、長音になります。
ただ、絶対というほどのものでもないので、ニオウ と発音したい理由があるなら、そのようにすれば良いと思います。
“世にもなし” “はなのかげ” の割り当て方

『小學唱歌集 第二編」より
2番と3番の最後の歌詞に注目してみましょう。”世にもなし” と “はなのかげ” です。これらの音への当て方で迷う方もいらっしゃると思いますが、迷ったら上に貼った『小學唱歌集』の楽譜を見てみると良いでしょう。するとそれぞれ、
よにもオ なし
はなのオ かげ
となっています。なんとなく、
よオにも なし
はアなの かげ
と歌いたくなりますし、そのように割り当ててある楽譜もあります。私も、昔からそのように歌っていた頃があります。それでも別にダメではないので、そのように歌いたいならそれで良いと思いますが、日本語版オリジナルではないよ!と強調はしておきたいと思います。
あと個人的には、助詞で音を動かすほうが、聴き手にとっては言葉を聴き取りやすいと思います。つまり日本語版オリジナルのほうが、”世” や “はな” が聴き取りやすくなるよ、ということです。
今日のお話は以上です。
「霞か雲か」は私の大好きな歌のひとつです。ゆったり歌うか、きびきび歌うか、その辺は好き嫌いが分かれるかと思いますが、春の喜びを表すかのようにのびのび歌うのが私は好きです(冒頭の動画のとおり)。
ただ、霞ってあまり良いイメージがないです。花粉だとか黄砂だとかPM2.5だとか、そういったものが漂うことで、春の空は霞みます。幸い、アレルギー反応は軽いですが、外に出るのも億劫だというほど重い症状を呈している人もいますね。あなたは大丈夫ですか?

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