いつでもあの海は(佐田和夫、 長谷部匡俊)

合唱曲

お待ちしておりました!

暑くてバテそうな毎日です。今年は早くから暑かったせいか、セミも少ないですね。鳴き声は聞こえてきますが、昨年ほどではないような気がします。

さて、今回は合唱曲の「いつでもあの海は」について。まず、私がひとりで二部合唱したものをおききいただきましょう。

小学校で習った人(または習う人)もいらっしゃるかと思いますが、私がこの歌をはじめて知ったのは、実は2年ほど前。第一印象は、どことなく切ない…といったものでした。

早速、「いつでもあの海は」についてクローズアップしていきましょう!

合唱の形態について

「いつでもあの海は」は、同声二部合唱(どうせいにぶがっしょう)という形態をもちます。

同声とは、読んで字のごとく、同じ声のこと。女声(じょせい)だけで歌う、もしくは男声(だんせい)だけで歌うといった意味です。そしてその二部合唱なので、パートが2つに分かれる合唱ということです。

まとめると、〈女声もしくは男声による2パートの合唱〉です。

作った人について

「いつでもあの海は」を作った人は、佐田和夫さんと長谷部匡俊さんです。このふたりについてかんたんに調べてみましたので、以下にまとめます。

作詞者:佐田和夫

「いつでもあの海は」の歌詞を書いた人(作詞者)は、佐田和夫さんです。

佐田さんについて調べてみたものの、少なくともインターネットでは全然情報が出てきませんでした。ここまで出てこないのも、けっこうめずらしいと思います。

佐田さんは、「いつでもあの海は」のほか、「海のにじ」「やさしい風に」「えがおかがやいて」「みみずくおじさん」という歌の歌詞も書いています。いずれも教育芸術社の音楽の教科書『小学生の音楽』に使われているため、佐田さんはその会社とのつながりが深い人物と思われます。

くわしいことが分かったらまた書き加えます。佐田さんについてくわしく知ってる!って方は、ぜひお知らせください。

作曲者:長谷部匡俊

「いつでもあの海は」の曲を書いた人(作曲者)は、長谷部匡俊(はせべまさとし)さんです。

まず、下の名前に注意!国俊ではなく匡俊と書きます。読みは〈まさとし〉。なかなか見ない漢字を使っているので、はじめて見るとなかなか読めません。が、人の名前をまちがえるのは失礼にあたるので、きちんと覚えたいものですね。

長谷部さんは、1965(昭和40)年の生まれで、1990(平成2)年には東京芸術大学を卒業されています。作曲が専門ですが、指揮やガムランも学ばれたみたいです(指揮については松尾葉子さんに学ばれたそうです!)。

長谷部さんは、文部科学省検定済教科書の著作者でもあります。今回の「いつでもあの海は」は、教育芸術社の音楽の教科書『小学生の音楽5』に収録されていて、多くの小学生に親しまれている合唱曲のひとつといえましょう。

何を歌っているのか

「いつでもあの海は」ではいったい何を歌っているのか、気になったことはありませんか?

一度ここで歌詞を確認してみましょう…と思いましたが、著作権の都合で、このブログにはのせられません。そのため、かいつまみながら、私の考えをお伝えしていきます。

登場する人・もの

まず登場人物やものを整理しますと、こうなります。

  • あの海

上記2点です。

あの海=僕の友達

では、”あの海” っていったいどこでしょうか?

おそらく、答えはありません。歌い手それぞれが思う海で良いと思います。

ただ、”僕” と “あの海” には深い関係がありそうです。”あの海” のことを “僕の友達” と呼ぶほどですから。”僕” には人間の友達がいるかいないのか分かりませんが、”あの海” を友達と呼ぶということは、並々ならぬ思いを持っているのだろうと思います。

友達というのは、楽しいことを分かち合える仲間であったり、いっしょに学んでお互いを高め合う存在であったりしますが、つらいときこそそばにいてくれる存在でもあります。

“僕” にとって、”あの海” はきっと心に寄りそってくれる存在なのでしょう。歌詞を読み進めていくと、”あの海” が “僕” の背中をいろいろと後押しするのが分かります。また同時に、”僕” の揺れる気持ちを代弁してくれる存在でもあるかなと思います。

海というのは、人間の祖先の祖先のそのまた祖先の祖先の祖先の……(くりかえし)……祖先の祖先の祖先である38億年前の生物が誕生した場所です。波の音が心地良か感じられるのも、DNAに子守唄として刻み込まれているのかもしれませんね。私たちにとって、海というのはただならぬ存在といえます。

悩み事があったり路頭に迷ったりしたとき、親しい人に相談するのも良いですが、海をながめてみると新たな発見があるかもしれませんね。

歌い方の工夫

最後に実践的なお話をして終わりたいと思います。少し意識するだけでグッとすばらしい仕上がりになります。

下のパートの追っかけはハッキリ

まずこの歌の第一ポイントとしては、下のパートの追っかけです。上のパートが歌った歌詞を、少し遅れて歌う部分のことです。

そこは、まるで海のこだまのようなところ。このこだまとは、やまびことは異なり、大きな世界観の表現ともとらえられます。

下のパートは、上のパートよりもさらにハッキリと歌うと、そのこだまが効果的になります。やや低い音なので、おじけづかずにしっかりと歌いましょう。

こういう、やや遅れて追っかけるような形式では、そのズレこそがおもしろいのですが、きちんと意識して歌わないと間違っているように聞こえてしまうことがあるので注意が必要です。

朗読やイメージ共有をしっかりと

何の歌でもそうですが、歌詞の朗読をすることは基本中の基本です。ただの音読ではなく、内容をしっかり読み取り、一つひとつの言葉を大切にして、聴き手にイメージを伝えつつ読む。それが朗読です。

朗読を通して歌詞を理解し、イメージもふくらませます。すると、いざ歌うとき、言葉に命が宿ります。命が宿ると、それが音楽的な深い表現につながります。

また、自分の持つ考えやイメージを、合唱仲間と共有することも欠かせません。意見のぶつかり合いもあるかもしれませんが、話し合いを重ねて一丸とならなければ、音楽のまとまりもなくなります。しっかりイメージを共有して歌っていけると良いですね。

鼻濁音を使おう

聞きなじみがないかもしれませんが、日本語には鼻濁音(びだくおん)というものがあります。

通常、ガギグゲゴは濁音(だくおん)といい、にごった発音をしますよね。ただ、標準的な日本語では、ガ行の濁音が文中に現れたとき、少し鼻にかかったような発音をするというのが正式なスタイルです。これが鼻濁音です。

今回の「いつでもあの海は」の場合は、”波がはげしく” と “波がやさしく” に鼻濁音が出てきます。”が” と “げ” です。これらの発音は、[ga] [ge] ではなく [ŋa] [ŋe] とするのが正式です。

ただ、普段から鼻濁音を使わない人にとっては非常に発音しにくいですし、必ずしも鼻濁音にしなければならないこともありません。もっと言うと、外来語や数字に出てくる濁音は鼻濁音にしないことが多く、また、単語の先頭などに来る濁音は鼻濁音にしないというルールもあったりして、けっこうやっかいです。

「いつでもあの海は」では例外的な濁音は出てきません。つまりガ行の濁音はすべて鼻濁音で大丈夫です。ただ、”はげしく” の “げ” は、激しさを表現すべく、わざと普通の濁音にするという手もあったりします。”波が” の “が” については、助詞ですから、なるべく鼻濁音で歌ったほうが日本語として美しいと思います。

単語の頭の母音はくっきりと

この歌には、母音(ぼいん)で始まる単語がいくつかあります。母音とは、アイウエオのことです。つまりアイウエオのいずれかで始まる単語があるということです。以下にあげてみましょう。

  • いつ
  • あの
  • 大きな
  • 大空

これらの単語の頭の母音は、くっきりと発音したいものです。というのも、母音で始まる単語は、前の単語のおしりの音と混ざりやすいからです。混ざってしまうと言葉が聞き取りにくくなったりします。

たとえば、2番の “繰り返す海の歌” で、母音の発音をくっきりさせないと、”くりかえすーみのぅた” と聞こえてしまいます。特に、”す海” の部分は、ローマ字にすると suumi というふうに u が続きますので、su Umi と発音しないと “海” という単語が “す” に食われてしまいます。

そこでくっきり発音する方法ですが、単に強く発音するということではなく、母音直前でほんのわずかなすき間を作るようにすると実現しやすいです。難しいことを言うと、声帯を一度開き(つまり声をキャンセルし)、再び鳴らし直すようにします。

※何言っているのか分からないかもしれませんので、また時間を見つけて録音し、ここに実演音声を貼り付けてみたいと思います。

ただ注意点としては、単語の先頭ではないところに母音が出てきた場合は、あまりくっきりとは発音しません。たとえば、”くりかえす” の “え” は単語の先頭ではないので、流れるように発音します。そうしないと “くりか +えす” というように分離して聞こえてしまいます。

さらにこだわるなら、古語を参考にして発音を考えるといったこともできますが、話が長くなるので割愛します。


カンペキにできなくても(というかカンペキなど存在しない)、少しずつ意識できることを増やしていけば、歌がどんどん深まります。私も動画で何気なく歌っているように聞こえるかもしれませんが、細かいところまで意識をして歌っているつもりですし、今後も果てしなくこの旅は続くことでしょう。

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